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スリランカ、鉄道の旅〜キャンディからエッラへ

仏歯寺の通路旅のスポット情報
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世界一周の最初の訪問地、スリランカ。中央部にあるキャンディという街で、ようやく不本意なツアーから自らを解放し、待ち望んでいた自由な一人旅が始まった。

いつどこへ行くかは全くの自由。自分次第だ。

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キャンディの街を歩き回る

エッラに向かう前のキャンディで感じたことを一つ書いておこう。

ツアーを離れてしばらくはキャンディの街をあてもなく歩き回った。
もちろん有名な仏歯寺にも行ったが、日常の風景を味わうのがなんとも言えず、楽しい。
異国の街歩きは最高。見るもの、経験するもの全てが新鮮だ。
例えば道を渡るにしても、信号機が完備していないので、かなりの交通量の中をうまくすり抜けて渡るのが日常の風景。とはいえそれなりのテクニックが必要だ。安全第一で慎重になっていてはいつまで経っても渡れない。車のドライバーとアイコンタクトを取るようなイメージで、間合いを見計らいながら、するりするりと隙間をすり抜けていく。
車も、道が混み合っている中でそんなにスピードを出してこない。歩行者が渡ることも想定の範囲内なので、それなりに対応してくれる。
逆にいうと、躊躇していると、「こいつ、こないんだ」と解釈されて、止まってくれない。「行きますよー。当然ですよね」という感じで歩き出すと、それがアピールとなって、「あ、この車の前に出てくるんだな」ということで、スピードを緩めてくれる。そういう目に見えないコミュニケーションが成立していた気がする。

翻って考えると、ルールをきっちり守る社会って、ある意味楽だけれども、人間同士のコミュニケーションが少ない。
「信号が青なんだから、こっちが優先だよね」「信号が赤だから、当然止まります」ということで、みんな規則は意識するが、そこに相手を感じ会う余地がない。
ルールから外れたことをしていると、ルールを守らないこと自体を非難される。だから、全く車が来ていないくても、赤信号だから止まって待つ、という態度が美徳になる。

それぞれ一長一短だけれども、規則を守ることが最優先の社会に慣れた自分からすると、状況に応じて、コミュニケーションを取りながら、ひとりひとりが行動を選択していく社会に、面白さと、自由さを感じた。

エッラへ向かう鉄道に乗る

キャンディ駅の切符売り場
キャンディ駅の切符売り場

適当に選んだ行き先、エッラへ行くため、鉄道のチケットを買うという作業が必要だった。しかし、初めてのことで、買い方がわからない。駅へ行き、周りの様子を見て、一見して旅行者たちとおぼしき西欧人たちが並んでいる列に並ぶ。どうも二等車の窓口のようだ。見よう見まねで無事チケットをゲット。

次は駅のホームだ。しかし、二等車の車両がどのあたりに停まるのかがわからない。周りの人たちに聞いても、「わからない」、あるいは、「この辺だって聞いたけど」という心もとない返事。そんな不確かな情報でもないよりマシ、ということで、言われたあたりで待つ。

同じ場所に、若い西欧人カップルがいたので、話してみる。オランダから来たという。気さくな好青年と明るく穏やかな女性だ。
日本のトイレ事情について興味があったみたいで、「トイレのシャワーが温水なのか?」と聞かれ、「そうだよ」と答えると、「本当なのか!」と言って驚いていた。
さらに、「トイレの便座があったかいって本当か?」と聞かれたので、「そうだよ」と答えると、「すごいな!」と言って、ここでも本気で驚いていた。
彼らはジブリアニメが大好きだということで、どの作品が好きかとか、どのキャラクターが好きかといった話で盛り上がる。
この後の旅の中でも、海外に日本のアニメファンがたくさんいることに驚かされた。日本のアニメは一つの共通言語になっているんだな。

キャンディ駅のホーム

オランダ人カップルと年齢の話になった。彼は32歳だという。こちらの年齢も聞かれたので、正直に「50歳だよ」と言うと、「信じられない!」と、この日最大の驚きを感じた様子。同い年ぐらいだと思っていたらしい。
そして、彼は、「自分が50歳の時には、あなたみたいでありたいよ。」などと嬉しいことを言ってくれた。「あなたみたい」というのは、見た目が若いのはもちろんだが、無邪気で好奇心旺盛、明るくて自由で、要するに気持ちが若々しい、ということのようだった。

そうこうしているうちに列車が入ってきた。2等車は2〜3車両ずれたところに止まった。それに気付くのがワンテンポ遅れた。急いで行ってみたが、着いた時はすでに満席。オランダ人カップルはうまいこと席をゲットできていた。僕が座れなかったのを見て、「3等車に行けば座れるかもしれないよ」と親切に教えてくれた。周りの人から情報を仕入れたようだ。

列車の旅は楽しい

3等車の車内
三等車の車内

「ありがとう」と言って、僕は3等車に移動してみる。そこはちょっと旧式な車両。子供の頃に乗った列車のような雰囲気だ。座席は向かい合ったボックス席で、背もたれはほぼ垂直に立っているやつ。でも思ったより綺麗で、居心地は良い。
いくつか空いている席があったので、その一つ、通路側の席に座った。
窓際の向かい合った席には先客がいた。話しかけてみると、ドイツから来たカップルだった。彼らも世界一周の途中で、ちょうど6ヶ月目だという。

僕の真正面には、最初、地元民らしい年配の女性が座った。3等車には地元民らしき人たちが多い。しかし、治安がどうとか、そういう危険な感じは全くない。むしろ生活感あふれる、素朴でリラックスした雰囲気が心地よい。地元民らしき乗客ともお互い笑顔で挨拶した。

スリランカに来て感じることの一つは、外国の人たちはみんなガッツリ目を見ながらコミュニケーションをとるっていうことだ。これはとても気持ちがいい。
日本では、ちょっとした挨拶程度の場合、あまり目を合わせないか、合わせてもチラ見くらいで、ばっちり見つめあってコミュニケーションをとることは珍しい気がする。というか、以前の自分がそういう感じだった。
しかし、言葉があまり通じない異国の地では、言語以外の手段によるコミュニケーションが重要になる。その時不可欠で、かつ最強の手段はアイコンタクトだった。だから自然と、頻繁にガッツリアイコンタクトをとるようになった。
これをやってみると、なかなか良い。
言葉が不十分でも、気持ちが通じ合う感じがするのだ。話の内容を理解し合うのも重要だが、その背後にある気持ちを通じ合わせることの方がずっとずっと幸せな気持ちになることを知った。
心で感じていることは伝わるし、逆にどんなに取り繕っても、心で感じていることは隠せない。だから取り繕う必要もない。自分に正直であること、素直な本心からコミュニケーションすること。そうせざるを得なくてやっているのだが、これがこんなにも心地よいとは。そして、こんなにも通じ合えるものだとは。もちろん複雑な細かい内容はちゃんとした言語で表現しなければ伝えわらない。しかし、旅をしている中での日常的なやりとりは、アイコンタクトで、ハートとハートで伝え合うのが中心だし、それで足りる。うまく波長が合わない時は無理に相手に合わせることもない。相手だってそうだ。

列車で同席したカップル
列車で同席したカップル

隣にいたドイツ人カップルとは、さほど話が盛り上がることはなかった。むしろ、景色がいい場所で、僕が身を乗り出して窓から外を撮影したことで、カップルの女性が撮影できなくなることがあり、ちょっと微妙な空気が流れた。
以前なら罪悪感を感じて謝りまくったり、嫌われたくない思いに反応してご機嫌を取ろうとしたりしたかもしれない場面だ。
しかし、この時は、その心の動きを自覚し、振り回される前に自分に立ちかえることができた。これが大切だ。人とは合うこともあれば合わないこともある。全ての人に気に入られる必要はない。常に自分軸をキープすることが、大きなテーマでもある。他人の気持ちを気にしすぎず、振り回されず、心の動きを観察しながら旅をしようと心がけていた。

ところで、列車の旅だが、車窓からの眺めは、緑の森と山、茶畑などが広がり、確かにとても美しかった。美しいことは間違いないが、アジア一というほどたいそうなものかな、という感じがした。雨がちの天候のせいもあったと思う。しかも、僕が座ったのと反対側の方が景色はよかった。
それより、社内での素朴な物売りが面白かった。昔の日本もこんな感じだったかもしれない、と思う。
かごの中に、僕にとっては得体の知れない食べ物をたくさん入れて持ち歩き、ざっくりと量売りしている。この時は食欲が湧かなくてパスしたが、後から考えたら試しに食べてみればよかった。

車内の物売り
車内の物売り

途中、列車に轢かれる人がいて遅れた。
この辺では線路が人の歩く道の代わりにもなっているらしく、人身事故も珍しくないようだ。

約7時間の列車の旅の末、ようやく目的地のエッラに到着した。
外国人旅行者でごった返すホームを歩きながら、僕は新しい場所での新たな冒険にワクワクドキドキ、なんとも言えない胸の高鳴りを感じていた。

エッラ駅のホーム
エッラ駅のホーム

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