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スリランカ一人旅。旅の道連れとエッラ・ロックへ

エッラの線路歩き旅のスポット情報
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世界一周の最初の訪問国、スリランカ。旅慣れない僕は、旅の道連れと行動を共にすることで、旅の仕方を学ばせてもらった。それは旅の仕方にとどまらず、心の在り方にも及んだ。

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エッラ・ロックへ行こう

スリランカ内陸部、山岳地帯の街、エッラ。そこで泊まった宿で知り合ったクリスと一緒に、日の出を見に行った話は前回の記事に書いた。

その後クリスは、「明日の朝は、早朝からエッラ・ロックへ登ろう」と誘ってきた。
これまた知らないスポットだったが、ノープランで来ている僕は「ここは行ってみるしかない」と思い、「オッケー、行こう」と軽く即答した。

しかし、「早朝」の具体的な時間を相談していなかった。
順調にいけば確か3〜4時間で往復できるはずのところだったが、ルートが分かりにくかったので、早めに出たほうがいいと思った。それに、帰って朝食を食べることになるので、あまり遅くはなれなかった。
それで僕は午前4時過ぎには起きて、出発の準備をした。クリスには、「いつでも出れるよ。何時に出発しようか?」とメッセージを送った。が、なかなか返事が来ない。30分、40分と時間だけが過ぎる。
「まだ寝ているのかな?あと10分しても連絡がなかったら、部屋のドアを叩いてみようか。でも、わざわざ催促しに行くほどのことでもないよな。それにそんなことしたら迷惑がられそうだよな」などと一人で自問自答。
午前5時を少し過ぎた頃だったか、「5時30分に出発しよう」というメッセージが入って、ホッとした。

午前5時30分、クリスのスクーターに二人乗りをして宿から出発。お互い、エッラ・ロックへの行き方は調べてあった。今回は、鉄道のエッラ駅からしばらく線路上を歩く。そして、どこかで左側に入る。まずはここを見つけるのが大変そう。そして、なんとかエッラ・ロックへの登り口を見つける。
過去に行ったことのある人のブログを見て、大体のイメージは持った。そのブログには何枚かの写真もあったので参考になる。「あとは行けばなんとかなるかな」と思ってとにかく向かった。

このあたりでは、事実上、線路が人の通行するルートにもなっているようで、他にも線路を歩いている人に遭遇した。というか、鉄道に乗ってエッラに来る時点で、線路沿いを歩いている人たちがいた。衝撃的だったのは、線路上を歩いていて、僕の乗った列車に轢かれた人がいたことだ。担架に乗せられ、全身に覆いをかけた状態で運ばれるところを目にした。

しかし、列車は滅多に来ない。片道30分以上は歩いたと思うが、遭遇したのは2回だけ。近づいてくる音でわかった。ただ、鉄橋を渡るときはドキドキした。その鉄橋には逃げ場がなかったから、歩いている途中で列車が来たらかなりまずい。音や振動を確認し、急いで渡った。

線路の右側は森。左側は、基本的には畑で、時折小さな集落がある。のどかな田舎の田園風景。天気も良く、早朝だからまだそれほど暑くもない。時々、線路脇で牛が草を食んでいる。本当に気持ちよかった。

登り口を見つけろ

さて、問題の入り口である。
だいたいこの辺り、というのはわかっていたが、左へ入る道(と言うか「入れそうな隙間」であって「道」とまでは言えない)はいくつかあり、特に特徴や目印があるわけではなかった。
それで、僕とクリスは、「ここじゃないか」「いや、もっと先じゃないか」「やっぱり、さっきのところだったんだよ」などと言い合いながら、入口を探した。

結局、少し戻り、入るところを見つけた(見つけたと言うより、その先へ行ってみたら、先人のブログに載っている写真と同じ情景があった)。
「ここだ、ここだ」と喜んだのはいいが、その先も分かれ道があり、どっちへ行ったらいいかわからない。いったんは、右を選んだが、畑の畦道に入り、ついには行き止まった。
同じように迷い込んできた他の旅人とも遭遇し、「ここじゃないみたいだね」などと言い合いながら来た道を戻った。

そして今度は、左の方へ行ってみた。すると、エッラ・ロックを目指すまた別の旅人と遭遇した。「こっちでいいみたいだよね」などと言い合いながら、山の上の方へ進んだ。なんとなく様子が登山道のような雰囲気になってきたので、徐々に「こっちでいいんだな」とわかってきた。

登頂

だいぶ時間をロスしたが、ようやくエッラ・ロックに向けて山を登り始めた。
岩だらけのところ、林の中。変化に富んでいて、なかなか気持ち良い山道だ。
が、日が昇るにつれて暑くなってきた。結構な急坂にもなった。決して高い山ではないのだが、だいぶしんどくなってきた。降りてくる人とすれ違う時に、「まだかな?もうすぐかな?」と声をかける。「もうちょっとだから、頑張ってー!」と言われて、少し元気を取り戻した。

最後の急坂を登って間もなく、やっと頂上に出た。
エッラ・ロックと呼ばれるだけあって、頂上の先端には岩が露出し、その下は切り立った崖になっていた。周りの山々を見渡せる見晴台といったところだ。それ以外、特に何があるわけでもないが、そこは光に満ちていて、なんだか祝福されているような嬉しい気持ちになった。
僕たちはしばらく休憩して景色を楽しんだ。「輪廻転生をどう思うか?」なんて話もした。「英会話が苦手なんだよ」と言うと、「大丈夫。だいたい伝わってるよ。でも、もっとゆっくり話した方がいいな」と助言してくれた。自信がないと、小声で早口になりがちだ。気をつけよう。
遅くなると朝食に間に合わない。僕たちは下山することにした。

下山する途中、さっきと同じ場所で、今度は登ってくる人たちから、「頂上はまだかな?」と聞かれた。みんな感じることは同じだ。
面白い出会いもあった。キャンディの駅で出会ったオランダ人カップルが登ってくるのと遭遇したのだ。お互い偶然の再会に驚き、心から喜び合った。ただ再会できたというだけで、こんなにも嬉しいものなんだな。

帰りは順調に進み、エッラ駅では彩雲を見ることができた。龍のような雲、鳳凰のような雲も現れた。その後、この世界一周の旅で、何度も目にすることになる吉兆だった。
宿に到着したのは午前10時40分。元々脚力には自信がなかったが、これだけ歩いてもさほど辛くなかった。ちょっとだけ自信がついた。

誰かと一緒に行動するということについて

ここからは、内面的な話。

僕は昔から、誰かと行動を共にすることに苦手意識を持っていた。空気が読めない。うまくコミュニケーションがとれない。だからと言ってマイペースで「我関せず」を貫けるわけでもない。人と仲良くはしていたい。それがうまくいかないと傷つき、自信をなくす繊細さんだった。だからこそ、人の気持ちを察したり、円滑にコミュニケーションをとったり、という苦手分野を克服しようと努めた。努力を続けることで、ある程度人並みに人付き合いができるようになったと思う。が、心の深いところにある気質みたいなものが変わったわけではない。その弱さから身を守るためのノウハウ、言い換えれば鎧のようなものを身につけただけだった。だから、人と行動することは、どこか緊張感を伴うものだった。

クリスとの旅は、ここに向き合うきっかけになった。
そのとき感じたのは、おそらく「自分は受け入れてもらえない」という思い込みが根源にあるということ。と同時に、「受け入れられなかったらどうしよう」という無意識レベルの恐怖があるということ。それらがただの思い込みに過ぎないことはわかっていた。頭ではわかっていたが、その恐怖を乗り越えて、相手がどう思うかを気にすることなく行動するには、ちょっとした勇気が必要だった。相手が機嫌を損ねても気にしないという心の在り方をキープするには、注意深さが必要だった。
でも、それを実践することでしか、前に進むことはできない。そんな気持ちで、クリスには言いたいことを言った。否定されることに対する恐怖の波動が乗らないように、心をフラットに保ちながら。
意見を否定されたときは、その否定が自分の人格否定を意味するわけではないのだと、自分に言い聞かる。さらに言えば、そこで上手くいかなかったからといって、その人間関係が終わりになるわけではない。もっと言えば、その時その人間関係が終わりになったとしても、「その時は合わなかったね」というだけであり、自分の存在そのものが終わりになるわけではない。心が揺れるときは、いつもここに立ち返って、恐怖に飲まれないようにした。

こんなこと、本来は幼少期から思春期くらいに身につけることなのかもしれない。他の人になったことがないから、他の人はどうなのかわからないけれど。何十年も生きてきて、そんな基本的なところで苦労しているなんて、と残念に思う気持ちもないわけではなかった。しかし、他人と比較して自分を恥じる気持ちにはならなかった。
これも、旅の効用だろう。旅は、常に他人と比較されるような環境ではない。普通に組織に属して働いていたり、競争社会で戦ったりしている状況では、こうはいかなかっただろう。旅の中では、社会的な立場や世間体とは無縁でいられる。年齢だって気にしないでいられる。じっくり自分と向き合いながら、多くの時間を過ごすことが容易なのだ。しかも、日本を離れ、外国人と行動を共にしているというのもよかった。なぜなら「それまでと違った自分」になりやすかったし、日本人相手と違い、変に気を使い合う必要がなかったから。

さて、クリスとの関係だが、遠慮なく自己主張をしても、嫌な雰囲気にはならなかった。僕もフラットな気持ちでいたし、アメリカ人のクリスも、自己主張し合うのは当然、という感じだった。しかも、嫌な雰囲気どころか、かえって信頼関係が生まれたように感じた。それは上下関係を作って安定させるのではなく、対等な人格として認め合う関係性だった。

こういう小さな体験の積み重ねが、本当の意味で心を強くしてくれるのではないだろうか。心の鎧を強くするのではなく、鎧がなくても平気な心にしてくれるという意味で。

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