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スリランカ世界遺産の旅〜ダンブッラの黄金寺院(石窟寺院)

ダンブッラ石窟寺院旅のスポット情報
この記事は約7分で読めます。

僕が世界一周の旅で訪れた場所から、印象に残った魅力的なスポットとそこで感じたことをご紹介しています

今回はスリランカ中部、ダンブッラにある世界遺産の黄金寺院(石窟寺院)です

ダンブッラ石窟寺院の外観
外観
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ダンブッラの黄金寺院(石窟寺院)について

ダンブッラの黄金寺院(石窟寺院)は、高さ約150メートルの岩山の中腹をくり抜いて作られています

洞窟のような広い部屋がいくつもあって、その中は仏像をはじめとする石像が無数に立ち並び、壁や天井は宗教的な壁画で埋め尽くされていて、暗く、静かで、厳かな空に満ちています

壁画の面積は2100平方メートルという、途方もない規模です

ここが作られ始めたのは紀元前3世紀という遠い昔で、最初は僧院でしたが、その後長い年月をかけて現在のような寺院に作り上げられたそうです

岩山の麓にある正面入口には巨大な黄金の仏像(ゴールデンブッダ)が鎮座しているので、ダンブッラの黄金寺院と呼ばれており、1991年にユネスコ世界遺産に登録されています

入り口はゴールデンブッダ側と裏山側からの二つあり、どちらも長い階段を登って石窟のある場所へ出ます

ダンブッラの黄金寺院の外廊下
この外廊下の右手に各部屋への入り口が並ぶ
ダンブッラ石窟寺院の室内
部屋の中

ダンブッラの黄金寺院を訪問した際の様子

僕は、プライベートツアーの車で裏山側の駐車場まで連れてきてもらい、そこから一人、長い石の階段を登りました

人影はポツリポツリといった感じでしたので、落ち着いてマイペースで登ることができました

周囲は熱帯雨林が広がっていて、時折、木々の間からその広大な森を目にすることができます

階段の途中には、花売りの女性が待ち受けていて、寺院で供えるための生花を100スリランカルピー(日本円だと50円くらい)で売っていました

別に必ず必要というものではないのですが、なんとなく、買っていかないと申し訳ないような気持ち(寺院に対して申し訳ないのか、その花売りに対して申し訳ないのか、はっきりわかりませんでしたが、おそらくその両方)になり、一つ買っていきました

スリランカの物売りは、客に愛想をよくして買ってもらうという戦略ではなく、買うのが当然なのになぜ買わないのか、というような非難めいた、真剣で押しの強い目力を戦略とするのがよくあるパターンでした

逆に、一見愛想良さそうに笑いながら話しかけてくる人間は信用できない、ということを、この後だんだん知ることになります

スリランカでは、寺院の中に入る時は靴を履いたままではいけないので、入り口で靴を脱いで裸足になります

ここでは、靴を預かる係の人がおり、預けるだけで25スリランカルピーを支払わなければなりませんでした

日本の貨幣価値にしたらごくわずかな金額なのに、ことあるごとに、些細なことにもお金を払わなければならないのには、最初のうち、違和感というか抵抗感がありました

いわゆるチップもそうですが、そういう形、つまり、目に見える形でお金が巡る仕組みの方が、知らない間に掠め取られて誰かが管理し、そこから実際働いている人々に少しずつ配られるみたいな仕組みよりも、GIVEとTAKEをリアルに感じられて、むしろ良心的なのではないか、と感じるようになるのはもっと後のことでした

この日は曇り空だったこともあって地面がさほど熱くなっていなかったので助かりましたが、日照りの時などは、地面の石が暑く焼けたようになってしまい、裸足で歩くとほとんど火傷をしそうでした

地元の人たちは、裸足でも割と平気そうに歩いていましたが、欧米人の多くは、寺院用のソックスを持参しており、靴を脱いでソックスを履いてから寺院に入っていきました

実際、他の宗教施設や宗教遺跡では、石の地面が熱くて、ゆっくり見学どころではなかったこともあったので、足の裏の皮が薄くなってしまっている日本人も、ソックスを準備して行った方が良いかもしれません(それ以外の時にソックスを履いていると、暑くて、蒸れて不快なので、普段は裸足にサンダルが一番ですが)

石窟寺院室内の巨大仏像群
立派な仏像が立ち並ぶ
石窟寺院室内の壁画
仏像群とともに壁と天井に広がる壁画が目を引く

ほとんど予備知識なしに訪問していたので、どの部屋がどんなところで、どの像が何を表しているのかなど、わからないままに見ていましたが、知識的な部分にアクセスできなかった分、感覚的な部分が強く働き、なんというか積み重なった念のような雰囲気を全身で感じながら、この石窟の中での時間を過ごしました

室内は、仏像や壁画を照らす照明だけがあり、それ以外の場所はかなり暗い状態だったので、自然と精神が深く沈み込むような感じになります

それと、巨大な岩盤の内側というのは、外の世界に充満する様々な振動、つまり音波や電波みたいなものたちが遮断され、一種独特な「無」の空間になっているように感じられます

だからこそ、これだけの岩を掘って宗教施設を作ろうとしたのかもしれません

昔から、修行や瞑想の場として、洞窟の中がよく使われていたのも同じ理由かもしれません

これと同じように、外の世界の雑音を遮断して特殊な場を作っていると感じたのは、エジプトのピラミッドの中でしたが、これについてはまた別の記事でご紹介したいと思います

それにしても、重機などのなかったその昔、これだけの規模の石窟を穿つには、物凄い労力が必要だったろうと思うと、人間が何かにエネルギーを注いだ時の執念みたいなものに、深く感心するしかありませんでした

石窟寺院の美しい仏像
様々な像が立ち並ぶ石窟内
石窟寺院涅槃像
巨大な涅槃蔵

一通り観終わって外へ出ると、来た道と反対側に、石窟寺院が掘られた岩に続く巨大な岩が剥き出しになったところがあり、その上の方まで登っていけるちょうど良い斜面になっていました

何人かの人がそこに登って座っていたので、僕も上の方まで登ってみることにしました

そこを少し登って振り返ると周辺の森と山が見渡せる絶景が広がっていました

僕はかなり上の方まで登り、犬を連れた西欧人カップルの近くに腰を下ろし、しばし、のどかで、開放的な空気と岩の持つエネルギーのようなものを味わいました

観光客はそれぞれ思い思いの服装で来ていますが、地元の人たちにとって、ここのような場所は聖地ですので、彼らは基本的に真っ白な服を着ていました

僕は物見うさんの観光旅行的なところがなかったわけではありませんが、聖地巡礼の旅という想いもありましたので、その土地ごとの聖地にふさわしい服装をしてくればよかったなと少し思いました

しかしその後もずっと、どこへ行く時も、旅をしやすい最低限の服だけで回ったので、結局のところ、服装は最低限のマナーと、自分の気持ちの問題だけで、それ以上にこだわる必要もない気がします

あえて言えば、どうせなら日本らしい服装(僕は浴衣を一枚持っていきました)を一つ用意していくのがいいなと感じています

石窟寺院の岩山からの眺望
巨大な岩山からの眺め

帰りがけのざわつく出来事

ここでは、最後にちょっと心がざわつくことがありました

帰りがけ、駐車場で車に乗る前にトイレに行こうとした時、どこからともなく近づいてきた男の子(日本だと小学校3、4年生くらいの感じ)が、頼みもしないのに「トイレはこっちだよ。着いてきてよ」という感じで勝手に案内し始めたのです

トイレは、案内されなくてもすぐわかるところにありましたが、僕は親切な子だなーと思ってその子と一緒に歩いていきました

トイレで用を足して出てくると、今度は手を洗う場所を教えてくれて(と言っても目の前にあるのですが)、さらに蛇口を捻って水を出してくれました

そこまでされると、なんだか胡散臭いなと思ったところ、案の定、「マネー」だったか「チップ」だったか忘れましたが、とにかくお金を要求してきたのです

今の日本ではあり得ないことでしたので、僕は、頼んでもいないのだから払う必要はないし、そんな理不尽な要求に従うのはよくないと思い、その子を無視して車のところに戻りました

子供はそれ以上しつこくつきまとってきませんでしたが、途中で振り返ってみると、その男の子は父親らしき男性に何か言われており、雰囲気的には、お金をゲットできなかったので叱られているように見えました

「あの子にはちょっとかわいそうだったかな」、「こうやって、しつこくお金をせびる輩が作られていくんだなー」、「でも、何もしないでお金をせびるのに比べたら、人の役に立つことをしてお金をもらおうとしているだけ、全然マシだな」と思ったりしながら、駐車場の車のところに戻りました

そして車に戻ってから、現地人ガイドにその顛末を話すと、彼はいいとも悪いとも言いませんでしたが、ちょっと微妙な表情をしており、なんとなく、「この場所ではそうやって生きている人たちもいるのだから、その子に少しくらいチップをあげればよかったのに」と思っているのかなと感じました

この時僕はまだ旅を始めたばかりで、日々新たな経験にどう対応していいかわからず、ことあるごとに戸惑ってばかりでした

自分の身は自分で守らなければならないのですが、せっかく自由な旅をしているのに、警戒心を強めて心を閉ざすのは、なんだかとてももったいないというか、面白くないですよね

実際、その後、旅を続ける中で、心を開いて打ち解けていけば(むしろその方が)、大抵は困ったことにはならず、かえって面白い展開が待っていることが多いし、仮にそこでトラブルが生じたとしても、気持ちの持ち方として、その経験を楽しんだり味わったりし続けていれば、全部がいい思い出になるだけだ、ということを実感していきました

現実的な緊張感と運命に対する信頼感、その両面はおそらく次元を異にしつつ両立できるし、この両方を生きることが、旅を(もっと大きく言えば人生を)存分に味わう一つのコツなのではないかと、今は思っています

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