ヒマラヤの奥地、ムクティナートの山道で野犬に襲われて転倒し、頭を打ってかなりの怪我をした顛末をご紹介してきました
第1話では怪我をしたときの状況、第2話ではムクティナートで治療を受けた状況についてお話ししました
第3話となるこの記事では、その後の影響についてお話しします
僕の場合、その後の治療によって頭の傷は治りましたし、帰国後の精密検査でも頭に異常はありませんでした
しかし、心には影響が残りました
ポカラでの通院治療
僕は海外旅行保険に加入していたので、怪我をした後、保険会社の窓口に連絡して、どうしたらいいか教えてもらいました
あとは、その助言に従って行動するだけです
ムクティナートの医師パニッシュに、全ての治療についてのカルテ兼領収書を書いてもらい、それは大切に保管して日本に持ち帰り、帰国後保険金請求書類とともに保険会社に送付しました
ムクティナートで数日間の治療と経過観察を受け、町に移動しても大丈夫、ということになったので、バスに乗って最寄りの町ジョムソンへ、そこでバスを乗り換えてネパール第2の都市「ポカラ」へと移動しました
ネパールの地方道路は未舗装の凸凹道が当たり前という感じなのですが、特にムクティナートからポカラへ向かう山道は、「これで道路ができたと言っていいのだろうか」と思ってしまうような悪路でした
しかも、右側は崖の下ギリギリ、左側は崖の上ギリギリという細道を、何時間も猛スピードで驀進するので、バス自体が一種の絶叫マシーン的なアトラクションでした
人間、不思議なもので、その状態にも慣れてしまい、眠ることもできました
ただ、揺れが激しすぎて、窓側に座っていると頭を窓に痛打するので、怪我をしている僕にとっては洒落にならない状況でした
ウトウトしながらも、窓側の腕を上げて手を窓枠にかけ、頭が窓に直接当たらないようにガードしなければなりませんでした
途中、故障したトラックに道を塞がれて長時間立ち往生するなどしたため、13時間以上のバスの旅になりました
ポカラでは、保険会社の指示に従い、いくつかの候補の中からCiwic Hospitalという病院を選んで、そこを予約してもらいました
保険会社経由なのでスムーズに行くかと思いきや、いざ病院に行くと、予約が入っていないなどと言われ、その場で保険会社と連絡を取り合いながら、なんとか診察を受けることができました
病院はきれいでしたし、対応もフレンドリーでしたが、僕自身は語学力の足りなさを痛感しました
普段はざっくりした意味や感情が伝われば良かったので、あまり気にしていなかったのですが、医学的な単語が出てこないし、症状などを正確に伝えるのはとても難しかったです
若干の誤解もありつつ、それでもなんとか説明して、傷の様子を調べてもらい、洗浄・消毒などの手当てを受け、塗り薬をもらいました
この場合、支払いは保険会社から直接行われるので、会計の必要はありませんでしたが、その場で渡された保険金請求書を記載して病院に渡しました
そんな感じでポカラに戻ってすぐから通院をして、数日後に予定どおり抜糸をすることができ、一応の治療を終えました
最初の処置が良かったのか、とても順調に治りました
僕は傷が落ち着くまで1週間以上ポカラに滞在して、のんびりしていました
ポカラは居心地の良い町でした
ムクティナートでお世話になったまるさんと再会したり、新たな旅の友達との出会いがあったり、美味しいものを食べたり、アーユルヴェーダ、瞑想、読書、散策など、楽しい時間を過ごしました
かなり伸ばしていた髪を刈って丸坊主になったのも新鮮な体験でした
人からは、「犬に襲われて怪我をしたら犬が怖くなったんじゃないか?」と言われましたが、ポカラにはあまり野良犬がいなかったこともあり、この時点ではまだ、「別になんともないな」と思っていました
犬が怖くなり、犬に吠えられるようになる
カトマンズでの体験
その後僕は、ネパール各地を見て周りましたが、犬を含めて、動物を怖いと感じることはなかったように思います
そして僕は、その旅の過程で知り合った人の紹介でカトマンズのあるお宅にホームステイのような形で滞在しました
その家では、敷地内に犬を何匹か放し飼いにしていたのですが、最初のうち、犬たちには激しく吠えられました
そのため出入りするときは、使用人が犬をいったん小屋に入れてから僕を通過させてくれていました
その犬たちに吠えられて、正直、怖かったです
僕は、犬への恐怖心が大きくなるのが嫌で、「怖いと思うから余計怖くなるんだよな」「犬とコミュニケーションをとって克服してみよう。きっと犬も怖くて吠えているんだろうから」と思いました
それで、何日か経ったとき、家の出入り口の網戸越しに、外から吠えてきた犬たち二匹に向かって語りかけてみました
「怖くないよ。僕は君たちのご主人さまに招かれてここに滞在しているんだよ。だから何もしないし、仲間なんだよ。大丈夫だよ。怖くないよ」
気がつくと、一番大きな犬がおとなしくなり、その場に座って、「なんだそうか。大丈夫なんだね。いらっしゃい」みたいな感じでこちらをみていました
そのすぐ右となりでは、小さな白い犬が、まだ盛んに吠えていましたが、驚いたことに、大きな犬が、右の前脚で、その小さな白い犬の頭をパコンと叩き、「いつまで吠えてんだ。この人は大丈夫だからおとなしくしろ」と言ったかどうかは定かではありませんが、そんな感じでおとなしくさせてしまいました
犬たちがおとなしくなったので、僕が網戸を開けて外に出ると、なんと、その大きな犬が、嬉しそうに尻尾を振って僕の顔をペロペロと舐めてきたのです
「あー、やっぱり気持ちって通じるんだな」と思い、とても嬉しくなりました
それ以降、そこの家の犬たちに吠えられることはなくなり、怖さもなくなりました
「これで、犬に対する恐怖心は、増幅せずに済むな」と、そのときは思っていました
インド、オーロヴィルで恐怖心マックスに
その後僕は、バスと歩きで国境を超え、インドへ行きました
バラナシからブッダガヤを経由して東へ向かい、コルカタからプリーなどを経由して南に向かって、チェンナイの南、オーロヴィルというエコヴィレッジに行きました
インドには野良犬がたくさんいました
そしてインドの野良犬は痩せていて、目つきが怖かったのです
僕はインドこそ、ネパールどころではないくらい狂犬病が蔓延していると聞いていたので、警戒していました
それに、野良犬たちの目つきの怖さが気になり、彼らに親しみを感じることができず、「怖いな」という気持ちが反射的に出てくるのを抑えられませんでした
それでも、オーロヴィルに行くまでは、周りに人がたくさんいる場所ばかりだったので、犬の注意も僕に向けられておらず、いきなり吠えられるようなことはありませんでした
しかし、オーロヴィルは違いました
そこは田舎の広い敷地に農園や宿泊施設、瞑想施設などが点在する、ある種の理想郷を目指したコミュニティで、一部の中心部を除いては、人通りがまばらでした
そしてその敷地の内外には、たくさんの野良犬たちがうろついていたのです
僕はここに10日間ほど滞在して、マトリマンディルという巨大な瞑想ルームで瞑想したり、日々あちこちで開催されているイベントに顔を出したり、農場を見学したりしていたのですが、移動は主にレンタサイクルを使っていました
人影がまばらな中で野良犬に会うと、僕もびくっとしますし、野良犬も僕に関心を向けてきました
僕が犬を発見してビクッとする
犬も「ん?」とこちらを見る
僕が「やべっ、怖っ」となる
犬がいきなり吠えてくる
僕は犬から意識を切り離すようにしてその場を離れる
ということが繰り返されるようになりました
そして何度かは、しばらくまとわりつかれました
そうしているうちに、僕の野良犬に対する恐怖心はどんどん敏感に、どんどん激しくなっていき、野良犬もまた、遠くからでも僕に気づくようになっていきました
100メートル以上も先でタムロしている犬たちが、一斉に僕の方を見て吠えかかってきたときには、「なんでこんな遠くから反応するんだよ。もう勘弁してくれよ」と、かなり情けない気持ちになりました
それと、夜は特に恐ろしいです
その時僕の宿はオーロヴィルの敷地の外にあったのですが、ある夜、敷地内で映画を見た後、敷地外に出るために自転車を走らせていると、最寄りのゲート付近に野良犬がタムロしていたのです
それで、仕方なく、別のゲートに向かったのですが、そこはすでに閉まっていました
しかし恐ろしい野良犬のいるゲートに戻るなんてことは到底考えられませんでした
そうこうしている間にも、あちこちから野良犬の鳴き声が聞こえてきます
僕は、「このままではまぢヤバイ。ゲートは閉鎖されているけど、この程度のフェンスなら乗り越えていけそうだ。フェンスを乗り越えて外に出るしかない」と思い、高さ2メートル以上あるように見えるフェンスの上に自転車を持ち上げて向こう側に落とし、自分もフェンスをよじ登って外へ出ました
そして、人影もなく、街灯もないような田舎道を、スマホの照明を頼りに全速力で宿に帰りました
怖がるほどに怖くなる
自転車と野良犬の相性も良くないのかもしれません
とにかく、野良犬が怖すぎて、毎日恐怖との戦いになっていきました
野良犬だらけのインド
まだ何ヶ月かかけてインドを一周するつもりでしたが、こんな状態で旅を続けられるのだろうかと不安になってきました
そんな時に、たまたま実家の父が倒れたという連絡があり、急遽旅を中断して帰国しました
ほっとしている自分がいました
怖いと思えば思うほど、実際に吠えられるという怖い体験を繰り返し、ますます怖くなって行く
野良犬は怖いという反応を抑えようとするのだけれども、抑えようと意識すればするほどそこから離れられなくなり、ますますその意識に囚われていく
そんな悪循環が起きていたように思います
もう一つ感じたのは
「こちらの恐怖心は間違いなく野良犬に伝わっている
しかもそれは、『敵意』として
だから野良犬も恐怖を感じて威嚇してくるんだ」
ということでした
つまり、野良犬は、相手が怯えていて弱っちいと思うからナメてきて吠えるのではなくて(あるいはそれだけではなくて)、相手が敵意を持っていて、自分に害を及ぼすかもしれないと感じて、怖いから吠えてくるように感じたのです
考ええてみれば、人間同士の間でも、これと同じようなことが起きている気がします
恐怖の波動は敵意の波動と同じだと考えると、なるほどなと納得できることがたくさんあるように思います
(まとめ)経験によって人生が豊かに
野犬に襲われてパニックに陥り、転倒して怪我をした経験から、その後、犬に対する恐怖心に囚われて抜け出せなくなる悪循環の状況を体験しました
PTSDそのものとまでは言えないと思いますが、それにちょっと似た状態だったような気がします
「恐怖とはこういうものなのか」「心の傷とはこうやって深まったり持続したりするものなのか」という実感を感じられたことで、また一つ人生が豊かになりました
好きなように生きていて経験することに、無駄は一つもなく、失敗も失敗ではないという思いを、さらに強くしてくれる出来事でした
でもまだ犬を見るとビクッとするんじゃない?
日本に帰っておとなしい犬に癒されて、だいぶ薄れたよ
でもまたインドに行ったらどうなるかな?一度植え付けられた恐怖を克服するのは簡単じゃなのかな
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