ネパールのヒマラヤの奥地で怪我をした顛末とそこで感じたことを綴るシリーズの第2話です
前回は、山道で野犬に襲われ、死の恐怖からパニックになって逃げ出し、大きな岩にダイブして頭を負傷した話でした
今回は、近くの集落にたどり着き、診療所らしきところへ行ったのですが、誰もおらず、止むを得ず泊まっていた宿に戻って、助けを求めることにしたところからです
旅の道連れに助けられて医師の治療を受ける
僕は、診療所に医師が来るまで1時間くらい時間があると聞いたので、顔中血だらけになりながら、そこから5分くらいのところにある宿に帰りました
宿には、このトレッキングの途中で知り合った日本人のおじいさんの「まるさん」(仮名)と、そのガイドのネパール人男性「カビール」(仮名)がいるはずでした
ここでは片言英語でのやりとりにも限界があり、すぐに医者に診てもらう方法も思いつかなかったので、この二人に助けてもらうしかないと思ったのです
ここでまるさんたちとのことについても少し触れておきます
まるさんたちとは、その何日か前に、トレッキングの道中で出会いました
最初は、まるさんが日本人だとは分からず、声をかけずにいたのですが、登るペースが似ていて、お互いに休憩するごとに追い抜いたり追い抜かれたりすることが続いたので、どちらからともなく声をかけ、お互い、相手が日本人であったことに驚いたのでした
僕もたいがい、現地人に間違えられることが多かったのです
まるさんは企業を定年退職した後期高齢者ですが、見た目は60代前半の小柄で筋肉質、穏やかでどこかいたずらっ子のような雰囲気を持つ方です
ネパールが大好きで、毎年のようにやってきてはあちこちトレッキングをしているということで、ネパール語でもある程度の会話ができていました
今回は、旅行業者にガイドを頼み、カビールという青年がガイドとして同行していました
カビールは細身で長身の物静かな青年で、つかず離れず、適度な距離を取りつつ、親切にガイドをしていました
僕はこの二人と、特にまるさんとなんとなく気が合い、その後は一緒にトレッキングを続けていて、泊まる宿も一緒、二人部屋があるときは同室にしてもらっていました
ただでガイドをしてもらってるようなものなので、最初はちょっと気が引けましたが、向こうからのお誘いを受けてごく自然な流れでしたし、最後にチップを渡せばいいかなと思っていましたので、遠慮なくお世話になりました
話を戻します
宿にたどり着くと、幸いにも、まるさんとカビールの二人がいました
僕は二人に事情を説明して、医者が来るはずだという午後5時くらいを見計らって、さっき立ち寄って誰もいなかった診療所へ向かいました
もちろん二人にも、一緒にきてもらいました
治療費がどのくらいかかるか分からず、外国の治療費は馬鹿高いという話の印象があったので、ありったけの現金(と言っても米ドルがほとんど)を持って行きました
診療所には誰もおらず、どうしたものかと困っていたところ、カビールが、連絡先の電話番号を記した貼り紙を見つけて、電話をかけてくれました
おかげで医者と連絡が取れ、今は隣の集落にいるので、すぐにこちらにきてくれるということになりました
実は、宿に帰ってから治療してもらうまでのことは所々しか覚えていません
自分にできることはやったので、ボーッとしていたのかもしれません
医師は、バイクに乗ってやってきたらしく、ヘルメットを持って現れました
彼はまだ30歳前後くらいの若くて優しそうな青年で、名前をパニッシュ(仮名)といいました
僕は薄暗い診療室へ通され、簡易ベッドに横にならされました
あとはなされるがままです
パニッシュは丁寧に傷口周辺の髪の毛を剃り、何度も水か何かをかけて傷口を洗浄してくれました
まるさんとカビールが助手役をしてくれていました
部屋が暗いので、どちらかが懐中電灯を持って傷口部分を照らしていました
僕はこの時、この状況は写真に残しておきたいなと思い、まるさんに携帯電話を渡して、「すいません、ちょっと写真撮ってもらえますか」とお願いしました
まるさんは、こんな時によくそんな余裕があったね、という感じで快く写真を撮ってくれました(傷が結構グロいので写真はお見せできません)
それから、パニッシュが針と糸で傷口を縫い始めました
とても質素な診療所で、麻酔などありませんでした
針をグッと差し込むときはまだマシで、それを傷の反対側に差し入れて抜き出すときがかなり痛かったです
針がグググっと入り込む感触がはっきりと感じられて、それまで経験したことのない、不思議な痛さでした
僕は痛みに抵抗するよりも痛みを受け入れようとして、ただすべてを委ねていました
途中までは、何回抜差しするか数えていましたが、10回数えたところでやめました
後で写真を見ると、頭頂部の前から後ろにかけて10センチ以上、かなりの大きさでパックリと皮膚と肉が割れていました
縫合が終わり、包帯を巻いてもらうなどした後、今後どうしたらいいか聞くと、2、3日は洗浄をしながら様子を見るということでした
僕は診療所を出るギリギリまでベッドに横たわっている状態だったので、パニッシュとのやりとりは、僕からカビールに片言英語で伝え、彼がパニッシュにネパール語で話し、パニッシュがネパール語で答えた内容をカビールが英語で僕に伝えるという形でしました
カビールの通訳で支払いのことを聞くと、2500ドルだというので、とりあえず手持ちの500ドルをぜんぶカビールに預けて支払ってもらい、残りは後でなんとかすることにしました
帰り際、旅行保険で補償してもらうためには、診断書や領収書が必要なはずだと思い、パニッシュにそのことを伝えると、次に治療したときにまとめて書いてくれるということでした
その後どうやって宿に帰ったか、覚えていません
3人で歩いて帰ったことは確かですが
こうして僕は、旅の仲間に助けられ、こんな山奥にいた医師に治療してもらうことができました
この治療がなければ、傷口が治るのにどれだけ時間がかかったかわかりませんし、細菌感染などで大変な事態になっていたかもしれません
その後僕は、さらに奥地をトレッキングしてみるという計画を取りやめ、傷口がある程度塞がるまでの数日間、このムクティナートに滞在しました
その間、隣の集落にあるパニッシュの診療所へバイクで連れて行ってもらって傷口の洗浄・消毒を受けていました
それだけでなく、彼とは毎日のように会ってお茶をご馳走してもらい、いろんな話をしました
彼の診療に一緒に行ってみるかと言われて、彼のバイクの後ろに乗り、とても貧しい親子のところへ行って、子供の治療に立ち会ったりもしました
彼は、そういう貧しい人たちには無償で治療してあげているそうでした
この数日間は、神様からのギフトだったような気がします
海外で怪我をした経験からの教訓
生かされて生きている
考えてみれば、そもそも命が助かったのも奇跡的なことでした
頭を打つというのはただでさえ危険なことなのに、あれだけの勢いで激しく強打して、意識も失わず、頭蓋骨も折れず、脳内出血なども起こさなかったというのは、奇跡的でした
他の骨折などもなく、歩いて集落へ戻ることができたのも幸運でした
このどれかが起こっていたら、命を落としていてもおかしくありませんでした
これから日暮れに向かう時間帯で、その後そこを通る人も翌日まではいないでしょうから、あのままあそこで動けずにいたら、水道が凍結するような寒さの中で、確実に凍死していたと思います
考えたくもありませんが、野犬に食い殺されるという可能性だってありました
本当に、命を救われた、生かされた、という体験でした
医師のパニッシュが近くにいたのも幸運でした
彼がいなかったら、うまく行けばヘリコプターでポカラの病院へ搬送してもらうことになったかもしれませんが、適切な治療をしないままで悪化させる可能性もありました
後で聞いたところによれば、彼はもともとネパールの軍人でしたが、僻地医療の必要性を感じて軍隊を辞め、あえてこの貧しいヒマラヤの奥地で診療をしているということでした
彼のその想いと行動力のおかげで、僕が助けられたともいえます
恐怖の対象そのものより、恐怖に飲まれての愚かな行動の方が確実に悲惨な結果を招く
ムクティナートに滞在したその後の数日、あのアクシデントの意味はなんだったのかと、考えました
そのとき浮かんだ考えは
「恐怖の対象そのものより、恐怖に飲まれての愚かな行動の方が確実に悲惨な結果を招く
恐怖の対象そのものと向き合い、幻想を見極め、委ね受け入れること」
というものでした
なんだか、最近の新型コロナウイルス騒動のことを言っているような気もしてきます
誰でも魔が刺すことはある(おまけの話)
ここまでは旅の道連れ二人に助けられたという美談ですが、純粋な美談だけではなかったかもしれないというちょっとしたおまけがつきました
怪我をして治療を受けたその夜、宿の中の、僕とまるさんが泊まっている部屋で、カビールも交えて3人で話しているときに、僕が保険会社に提出するための領収書を明日もらって来るという話になりました
そのときです、カビールが、「2500ドルじゃなくてルピーだよ。500ドルはドクターには渡してなくて、まだ僕が持っているよ。」と言って、ポケットから500ドルを取り出し、僕に手渡してきたのです
僕は、カビールの態度に違和感を覚えましたが、「あれっ、2500ドルじゃなくて2500ルピーだったのか。なんだ、勘違いか」と軽く考え、何も言わずに500ドルを受け取りました
カビールが僕を騙して500ドルをせしめようとしていたなんて考えたくもなかったので、その疑いの心を無意識に押さえ込んでいたのかもしれません
カビールが自分の部屋に戻った後、僕は、なんだか気になってきたので、まるさんに、「なんかおかしいんですよね。確かにカビールは診療所では2500ドルと言っていたような気がするんです。僕が500ドル渡した時も多すぎるという様子はなかったですよね。」と言いました
するとまるさんも、「そうですよね。さっきのカビールの様子、おかしいなと思ったんです」というのです
僕は、ますます不信感が湧いてきて、「もしかしたら、あのまま500ドルを持ち逃げしようとしたんですかねー。それが、翌日領収書を書いてもらうという話になって、そこでバレると思って、お金を返すことにしたんじゃないでしょうか。」と言いました
しかし僕は、カビールのことをいい奴だと好感を持ってみていましたから、彼が本気で500ドルをかすめとろうとしていたとは思いたくありませんでした
だから僕は、「きっと、預かったときに、普段目にしない大金に目が眩み、僕がドルとルピーを勘違いしていることで一瞬魔が刺して、その場ですぐに返しそびれただけだろう。だからタイミングを見て返そうと思っていたところ、宿に帰ってから、ちょうどお金を返すのに都合のいいタイミングが来たから、返しただけだろう。彼の心の中で一瞬の揺らぎがあったかもしれないけど、客観的にみれば、安全な場所に戻ってから預かっていたものを返したのと同じことだよな。」と考え、それ以上疑うことをやめ、彼を問い詰めるという考えも捨てて、眠ってしまいました
翌日、僕は傷口がある程度塞がるまでこの地に残らなければならないので、その日帰途につくまるさんとカビールとはお別れとなりました
カビールに、チップとして1000ルピーを渡そうとしたのですが、カビールは頑なに拒絶して受け取りませんでした
カビールの中にも、何か後ろめたさがあったように、僕には感じられました
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