世界一周の旅で訪れた場所の中から、印象深いスポットやその楽しみ方、そこで感じたことなどをご紹介しています
今回は、ヨルダンの旅の第2話、ワディ・ラムの砂漠キャンプツアーについてです
第1話では、ヨルダンを訪れての印象と、最初に行ったペトラ遺跡についてご紹介しました
その続きで行った、ワディ・ラム砂漠キャンプツアーは、初の砂漠体験、初の海外キャンプ体験ということで、僕のテンションが上がりまくりでした
また、たくさんの新しい体験が僕の内側の何かを刺激したらしく、このツアー中、様々な想いが湧いてきて、気づきの多い旅でもありました
いつものように、当時の心境などの部分は、「だ・である調」に変わります
ペトラ遺跡からワディ・ラムへ
ペトラ遺跡観光の拠点ワディ・ムーサで宿泊したペトラ・ゲートホテルで、僕は旅友となる香港人のドンキー(仮名)、そしてオランダ人女性のマリア(仮名)と知り合った
ドンキーとは、その後も何度か再合流して旅を共にすることになるが、もちろんこの時はまだそうなることを知らない
ドンキーのことについては、パタゴニアトレッキングのいくつかの記事で触れたので、ここでは詳しく書かないが、同年代で、旅慣れた、物静かな、芯の強い男だ
マリアは休暇で中東の一人旅をしているサイコロジスト
「クライアントのネガティブなエネルギーの影響を受け過ぎて苦しくなることがある」と言っていた、繊細な女性だ
マリアは、旅の間、「Power of Now」という本を読んでいた
僕たちは、食事の時に言葉を交わすようになり、「ワディ・ラムの砂漠でキャンプをするツアーに行きたいね」という話になった
ワディ・ラム(Wadi Rum)とは、ヨルダン南部にある岩と砂の谷であり、ヨルダン最大の枯れ川である
この地域には、数千年前に栄えたナバテア王国当時の遺構やサムード族の古いペトログリフが残されているほか、岩山と砂の美しい景観が広がっており、それらを理由に「ワディ・ラム保護区」として世界複合遺産にも登録されている
ツアーの詳細はわからなかったが、それらの遺跡や自然美の美しい場所、映画「アラビアのロレンス」ゆかりの場所など、ガイド付きでなければ行けないエリアを車で巡り、砂漠の真ん中にあるキャンプ場でテント泊をするというものらしかった
マリアは一人で1日早く出発していた
僕とドンキーは二人で一緒に行こうと話し合い、ホテル経由で40ヨルダンディナール(約6000円)を支払ってワディ・ラムのツアーに申し込んだ
直接申し込めば35ヨルダンディナールだったことは後から知った
朝6時発の乗合バスでワディ・ムーサからワディ・ラムの入り口へ移動し、この地方に住むベドウィン族のガイドの家へ案内されて1時間ほど待機した
その後、ベドウィンの若いイケメンガイドの運転する四駆で、ドンキーと二人、ワディ・ラム保護区の旅へと出発した
砂漠で湧き上がった感慨
前にも書いたとおり、砂漠地帯は初めてだった
このとき僕は、景観が人の精神構造に及ぼす影響はかなり大きいことを感じた
ヨルダンに入国したときから、なんとなくそれを感じていたが、砂漠の真ん中に身を置いてみて、はっきりと実感した
砂漠の感覚とは、別の星に来たような、あえて言えば、時間の感覚がなくなったような感じだった
こういう環境で暮らす人たちは、日本人とは性格も考え方も違って当然だ
これまで知らなかった新しい感覚を体験することは、きっと何か見えないところで、僕の感覚域、受容体の感度のようなものを大きくしてくれたと思う
未知の経験が色々な意味で人間の幅を広げてくれるのも、旅のよさの一つだ
「ロレンスの泉」と呼ばれる泉が湧く岩山を登ると、素晴らしい景観が広がっていた
この岩山、結構な急斜面で足場を探すのにも苦労するところがあった
日本なら、危険だからということで立入禁止にされたり、安全なルートを作られたりしそうだが、海外では、かなり危険な場所もあるがまま、立ち入りも自由なことが多い
それぞれ一長一短があるとは思うが、なんでも安全第一という極端な考え方には違和感が強い
国が保護者のようになって個人を守るよりも、個人が自分の責任で自分の身を守り、国はそういう個人で対応可能な領域をできるだけ侵さないようにした方が、自由で力強い生き方につながるから
要は自由と平等のバランスの問題だが、保護は管理と一体、自由は責任と一体であることを、忘れないことだ
僕たちはその後、ハザリ峡谷へ向けて移動した
砂漠を疾走するオープンカーの四駆に乗って、その空気感に身を委ねているとき、腹の底からなんとも言えない喜びが湧いてきて、意味もなく声を出して笑った
「喜びとはこういうものだったのだ!」という、この魂が震える感覚を、旅の間何度か経験した
ハザリ峡谷は、大きな岩と岩の間にある狭い谷間で、その奥の岩肌には、消えた古代アラブ民族の一つ「サムード族」が残したペトログリフが刻まれている
※ サムード族について、今、ネットで調べたところ、サウジアラビアに関するマニアックなブログの中で以下のような紹介がありました
こちらのブログのことは何も知りませんが、ブログ全体の内容がとても専門的で詳しく、興味深いので引用させていただきます
サムード族は紀元前1,000年期からムハンマドの時代近くまで居た古代アラブ民族であり、消えたアラブ部族の1つある。サムード族は南アラビアの出身であると、考えられている。「ノアの民の末裔でウバールを首都としたアード族の王家が消滅した時に、その同族のサムード族が取って代わった」と云う。アラビアの伝説では「サムード族は北へ移動し、マダーイン・サーリフ近くのアスラブ山に定住した」と伝えられている。
SAUDI TRAVELLER サウディアラビア紹介シリーズ(高橋俊二)
クルアーン(ごろっくま注記。コーランのこと)では「サムードはヒジャーズ地方のヒジュルに栄え、アッラーの怒りを買って滅ぼされたアラブの部族である。アッラーがアード族の絶滅の後、その後継者としてサムード族にその土地を与えた。サムード族は宮殿と城を築き、山を穿って住処を作り繁栄した。しかしながらサムード族が邪悪や害悪を成したので、アッラーはサーリフを遣わされた。サーリフはサムード族に『我々の民よ、神は汝らをアード族の後継者としてこの土地を与えられた。そのご加護を思い起こしアッラーを崇拝せよ。アッラーの他に神は居ない』とアッラーへの信仰を呼びかけた。サムード族はこれに従わなかったのでアッラーは、大音響が鳴り響かせてサムード族を滅ぼされた」と記述されていると云う。
SAUDI TRAVELLER サウディアラビア紹介シリーズ(高橋俊二)
乾燥し切った場所なのに、谷間から太陽に煌く水蒸気のような白い光が広がる、なんとも幻想的な場所だった
その後、他の岩山の上に登ってゆっくり景色を堪能する時間があり、砂漠を眼下に瞑想をした
国や場所によって強く感じる特別な感覚、湧き上がってくる独特の想いがある
例えば、アンコールワットでは孤独感、ペトラ遺跡ではエゴを感じた
ここでは、なぜか「期待に応えられなかったことへの赦し」を感じた
その理由はわからないし、何のことを意味しているかもはっきりしないが、思い当たることへ強引に結びつければ、僕は心のどこかで、父の期待に応えられなかったことに対する罪悪感を感じていたのかもしれない
昭和一桁生まれの父は、その世代の日本人たちの多くがそうであるように、一つの仕事を全うし、しっかり定年まで働き、家族を設けて安定した生活を送ることが、人生の成功であり、幸福の形であると思い込んでいるようだった
しかし僕は、途中までその期待に沿うかのような人生を歩みながら、父が年老いた段階で突然その道を外れた
父は性格的に言葉には出さないが、その様子からしてひどく落胆していることは明らかだった
これは過去にも繰り返されたパターンかもしれない
僕の中では、父には父の価値観があり、僕には僕の価値観があって、それが違うのは仕方ないし、父の価値観に従って生きることは、他人の人生を生きることだから、自分の好きなように人生を生きることについては、心から納得していた
納得はしていたが、心のどこかに罪悪感はあったのだろう
しかしこの砂漠で感じたのは、そのような、期待に応えられないことの罪悪感への赦しだった
理屈はどうであれ、ただ赦された感覚が心を満たし、涙が出そうだった
キャンプ場での国際交流
他にもいくつかの名所を巡り、僕たちはキャンプサイトに到着した
1日前に出発したマリアが、延泊してそこにいてくれたので、僕たちは、素直に再会を喜んだ
ここは砂漠の中に設営されたバンガロータイプのテントサイトで、食事やシャワー、排泄など日常生活ができるだけの一通りの設備が整っていた
ドンキーと二人で周辺の砂漠を歩き回ったが、かなり離れた場所にも、同じような別のキャンプサイトがあるのが見えた
僕たちのキャンプサイト周辺は砂と岩山が取り囲んでいたので、僕は本能的に岩山に登り、ワディ・ラムの独特の景観を堪能した
そして岩の上で、初めて砂漠の夕陽を見た
細かな砂が空中に舞っているためだろう
大きくて真っ赤な太陽は次第に弱々しく朧げになりながら、遠くの岩山に隠れていき、しばらくの間、世界が赤色に染まっていた
ここは映画「アラビアのロレンス」のロケ地であるだけでなく、「レッドプラネット」「オデッセイ」といった、火星を舞台にした映画のロケ地になっているらしいが、ここを火星に見立てるのもうなづける、幻想的な夕暮れだった
夜は食堂用テントで、他のツアー参加者と共にかなり美味しい夕食をとり、その後、他の旅行者たちと共に、ベドウィンのガイドが起こしてくれた焚き火を囲んだ
余計な光のない暗闇の中、ベドウィンのガイド2名、イングランド人とインド系カナダ人の二組のカップル、そして香港から来たドンキー、オランダ人のマリア、日本人の僕と、あともう一人くらいとで、夜更までいろんな話をした
イングランド人のカップルたちとは、ペトラ遺跡ですれ違って挨拶をしていたらしく、僕は忘れていたが、向こうは僕のことをよく覚えていた
めちゃくちゃ嬉しいそうな笑顔で歩いていたから、とても印象に残ったそうだ
それは他の国でも言われたことがあった
実際、僕は旅の間、ほぼいつも嬉しくて仕方なかった
旅をしていると、いろんな国から来た人たちと一緒になることが多い
仕事ではなく自由な旅人として集っているからだろうが、そういう国際色豊かな場に身を置いているとき、不思議と落ち着いた安らかな気持ちになり、人類に対する信頼感みたいなものが湧いて来た
メンバーのうち、カナダ人の女性は心理カウンセラーで、他にも薬品関係の仕事をしている人がいたので、サイコロジストのマリアも加わって、そっち方面の話で盛り上がっていた
しかし残念ながら、僕の英語力では何を言っているかまったくわからなかった
普段は、そんなに話せなくてもコミュニケーションは取れるから問題ないと思っているのだが、こういう時はやはり英語力を高めたいと心から思った
この夜僕は、初めて砂漠に広がる満点の星空を見た
いつまでも見ていたくて、キャンプサイトの塀の上に寝転がり、しばらくの間一人で宇宙を眺めていた
そのとき僕の心の浮かんだのは、「人間関係の困難を避けようとばかりして来たけど、困難を避けようとするより、むしろ全てを受け入れよう」という想いだった
どうしてそう思ったのかわからないが、人間関係の困難を避ける必要はないと思えるだけの、強いメンタリティに少し近づいたのかもしれない
この日、僕は、ヨルダン滞在を1週間ほど延長する手続きを終えた
まとめ
ヨルダンでは、ペトラ遺跡だけでなく、ワディ・ラムのキャンプツアーに参加するのがおすすめです
なぜなら、コアなエリアはツアーでなければ行けないし、砂漠という異世界を思い切り体験することで、新しい自分と出会うことができ、砂漠の夕暮れや星空は心を満たしてくれる上、自然と国際交流が生まれて幸せな気持ちになるからです
この後も変化に富んだヨルダンの旅が続きます。
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