お盆に訪れた熊野
その不思議な魅力に心が惹かれました
新型コロナの影響で人が少なく、花火大会なども中止になってしまいましたが、代わりに静かで味わい深いお盆行事を見ることができました
今回も、前回に引き続き、世界の旅の話からちょっと離れて、熊野の旅で感じた魅力のひとつについて、記事にしました
これまでの熊野に関する記事はこちらです
熊野の精霊流し
その年に亡くなった方の精霊を小さな舟形に乗せ、海や川に流して送り返す行事は、一般に灯籠流しと呼ばれ、日本各地で行わており、長崎などでは精霊流しと呼ばれているようです
ここ熊野の海岸沿いにもその伝統行事が残っており、今回は七里御浜に面した木本地区の精霊流しを見せていただきました
昔は旧暦のお盆、満月の真夜中に行っていたようですが、今はお盆と月の営みが合致していないこともあってか、夕方から夜にかけて行われています
満月に照らされた海を灯籠の赤い光が流れていく情景はとても素敵だったろうと思いますが、夕暮れ時、刻々と表情を変える空と海の中で行われる精霊流しも、とても印象深いものでした
夕方、まだ明るいうちに一つ目の灯籠が海岸に運び込まれてきます
地区の人たちの手で火が起こされ、灯籠に火が灯されます
火が灯された灯籠の舟は、若者の手で海に浮かべられました
この海岸は遊泳禁止の危険な場所ですが、若者が、サーフボードの助けを借りて泳ぎながら、灯籠を沖まで運んでいきました
夕闇が迫る中、灯籠の赤い光が少しずつ目立ってきます
夕焼けと、その光が映る海面の中を赤い光が流れていきます
沖に目をやると、いくつもの赤い光が水平線に向かってゆっくりと流れていく様子が見えます
一つ一つの精霊が、近づいたり、離れたりしながら、一群となって去って行きます
そこには、別れをしみじみと味わう、ゆったりとした時間が流れていました
生きている人が旅立つときも、あっという間に見えなくなる飛行機や車より、ゆっくり離れていく船の別れが心に染みるように、この精霊とのお別れもまた、心に染みるものでした
死や別れ、それに伴う寂しさを忌み嫌うのではなく、それもまた人生の一つの味わいとして向き合うことの豊さを思い出させてくれます
写真では見えにくいかもしれませんが、この日は雲ひとつない快晴で、月も出ていなかったので、空は満点の星でした
灯籠の赤い光が水平線の彼方に流れ去り、小さな点となってほとんど見えなくなった時、精霊が星空の中に消えていったような、あるいは星に還っていったような、そんな感覚に包まれました
おわりに
この日は、海に突き出た防波堤の上から撮影していたので、実際に灯籠に火を灯して海に運ぶ人々の会話や雰囲気はよくわかりませんでしたが、その代わり、流れる精霊をじっくりと感じることができました
こういう大自然と一体となった儀式によって、生と死、魂と向き合う体験を皆で味わう伝統行事って、いいものですね
人が少ないが故に、浮つかない、落ち着いた雰囲気の中で行われたようです
おかげで、本来の姿に近いものを見ることができて僕としては幸運でした
新型コロナのことは、一概にいいとか悪いとか言えませんが、様々な場面で、本来の姿を思い出すチャンスを、我々に与えてくれているような気がします
次の記事は、熊野の旅のラスト、灯篭焼きと追善花火についてです
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