僕の世界一周の旅で訪れた場所の中から、心に残った場所とその楽しみ方をご紹介しています
今回は、2018年2月に行った南米のパタゴニア、パイネ国立公園のWコース・トレッキングについての第2話、突破編です
第一話(出発編)の概要は以下のとおりでした
・トレッカー憧れの地パタゴニアの一つの目玉がパイネ国立公園のWコーストレッキングだが、入園するには全キャンプサイトの事前予約が必要とされていた
・事前予約を試みたが、1週間先まで埋まっていたため、僕と旅友のドンキーは、行けばなんとかなるという噂話を頼りに、予約なしでトレッキングに出発した
・最初の関門は入園ゲートでの予約チェックだったが、予約しているフリをして切り抜けた
・ルールを破ることや嘘をつくことを勧めているのではなく、ここでのポイントは、冒険心である
では、入園ゲートを通過してからの旅について書いていきます
1日目〜パイネ・グランデキャンプ場〜雨の中のキャンプ
プデートのゲートを通過すると、湖を船で30分ほど移動しました
この時はまだ日が差すタイミングもあり、パイネの山並みの神々しさに圧倒されました
パイネ・グランデキャンプ場につき、早速チェックインカウンターへ行って、キャンプをしたいと伝えると、なんのおとがめもなく予約を受け付けてくれました
それまで予約が必須だと繰り返しアナウンスしていたこととのギャップが大きく
「なーんだ、来てしまえば、実は大したことないものだな。なんでもやってみるもんだな」
という、ほっと肩の力が抜けたような、ちょっと自信が出て来たような、そんな感覚になっていました
パタゴニアといえば風が強いことで有名です
実際に、結構な強風が吹いていたので、僕たちは風を避けるためにキッチン棟の脇にそれぞれのテントを張りました
これが後で後悔することとなるのですが。。。
それから、持って来たカップ麺とパンを食べ、昼過ぎから、重い荷物はテントに残して、グレイ湖の西岸沿いのトレイルをグレイ氷河目指して歩き出しました
僕はトレッキングに慣れていなかったので、熟練のドンキーには先に行ってもらい、マイペースでゆっくり歩きました
強風が吹き、時折雨も降る天候の中、荒涼としたパタゴニアの大地を一人で歩いていると、なんとも言えない解放感に包まれて、行き交うトレッカーたちとも自然とご機嫌に挨拶をし合うことができました
グレイ氷河までの片道4時間くらいのルートを歩きながら、なぜかいろんな想いが浮かんでは流れていきました
「他人に気持ちよく過ごしてもらおうとするのは愛。だけど他人から嫌われないようにするのはエゴだな」
という考えが浮かんできたり
過去の恥ずかしかった経験が次々と思い出されたり
過去の苦しかったことが、見方を変えることによって美しいものに書き直された感覚が湧いて来たりして
「心が浄化されているんだ」ということが感覚的にわかりました
「自分の特徴をなんでも短所としてとらえ、改善すべきものと考えがちだな
感情の揺れが小さければ、感情豊かでなければ一人前でないと思い、怒りの感情が少ないと、もっと怒らなければいけないと思い、、、、
感情に振り回されないとか、怒りをコントロールできると捉えればいいんじゃないかな」
なんてことも、歩きながら頭に浮かびました
そして道の先の方にグレイ氷河が見え出した頃
「幸せだなー!俺は地球の裏側、パタゴニアに来ているんだぜ」
という感慨に喜びが腹の底から湧いて来て、思わず一人で笑い出してしまいました
こういう、なんだからわからないけど腹の底から湧いてくる喜びや笑いというものを、僕はこの世界一周の旅の中で何度も経験しました
午後5時過ぎ頃、グレイ氷河の展望ポイントでドンキーと合流し、しばらく景色を堪能してから、キャンプ場へ向けて元来た道を帰りました
山道を8時間も歩くことには不安があり、最後の方は少し膝が痛みましたが、基本的には全然大丈夫だったことも、一つの喜びでした
自分の身体に対して、「まだまだいけるじゃん!いいぞ!」と褒めてあげたいような気持ちになりました
この時期のパタゴニアは日が長く、午後10時くらいまで明るいので、昼からでも往復8時間のトレッキングに出ることができました
とはいえ、キッチンやシャワーが午後10時にクローズするということだったので、帰りは急ぎ足で戻り、午後9時過ぎくらいにキャンブ場に到着しました
到着してみて、キッチン棟の脇にテントを張ったのは、大きな間違いだったことを思い知らされました
キッチン棟の軒下だったため、雨で水溜りができており、テントが水浸しだったからです
テントを張るときは、雨が降ったらどうなるかを、よくイメージして場所を決めなければなりませんね
僕とドンキーは、まずシャワーを浴びてから、水浸しになったそれぞれのテントを移動させ、早めに寝ました
寒くてなかなか眠れない中、僕は
「チャレンジ精神は、失敗を怖れない心から生まれる
失敗を怖れない心は、失敗もまたいいものだという人生観から生まれる」
そんなことを感じていました
ここまでは、3泊4日の冒険が始まって、喜びいっぱいの感じだね!
2日目〜検問を突破する
朝食時のちょっとした内観
結局、寒くてあまり眠れませんでした
朝7時くらいからキッチン棟でスープとパンの朝食を取りました
その際、ドンキーから、「お湯を沸かすので水を持って来て」と頼まれて、お茶を飲むためだと思って二杯分の水を汲んでいくと、「そんなんじゃ少なすぎるよ」と文句を言われてカチンと来ました
その場でお茶を飲むだけでなく、水筒にお湯を入れて持っていきたかったということですが、「だったら先にそう言えよ。人にものを頼んでおいて文句言うなよ」と感じたのです
しかし、僕は、世界一周の旅の間、感情の揺れがあったときは、その心の奥にあるものを観察するようにしていたので、その気持ちの裏側を覗いてみました
そうすると、相手の期待に応えられないこと、それによってネガティブな感情をぶつけられることに対して、とても過敏で傷つきやすいメンタリティがあるなとあらためて気付きました
それにまともに反応すると、まるで自分の存在を否定されたかのように落ち込むこともあるし、逆に、反発してイラッとしたりカチンと来たりすることもあるんですよね
人間関係が常に良好な状態でないとストレスがやたら大きい
それゆえ人間関係を良好に保つことにエネルギーを費やしすぎて疲れる
だから親密な人間関係を避ける
という自分の傾向が、人間関係のパターンを作っていたような気がしました
そしてそのさらに奥には、幼少期からあった「自己の存在に対する根本的な否定感」とでも言えるような「自分のような欠陥品はここにいてはいけない」という根拠のない根深い思い込みがあったようです
「人間同士100%完璧な関係なんてありえないのだから、ぶつかり合い、傷付け合いながら、理解を深めたり、友情や愛情を深めたりしていくものだ」と言われても、かつての僕は、あまりに繊細すぎて、そんな関係性など考えられなかったのです
しかし、そんな心の動きを意識できるようになったことは、とても大きな成長でした
検問を突破する
そんなことを感じながら出発の準備を進め、午前10時30分頃、その日の目的地であるイタリアーノ・キャンプ場目指して歩き出しました
歩き出してまもなく、検問所のような小屋があり、一人の若いレンジャーの男性が声かけてきました
「予約はしてあるか」と聞かれて、ドンキーが「ある」と応えたのですが、予約書を見せるように言われ、ドンキーが「携帯電話に入っているけど、ここは電波が届かないから見せられない」と答えました
すると、小屋の中に連れていかれ、「リストを確認するから名前を教えろ」と言われたので、仕方なく二人の名前を伝えると、そのレンジャーが名簿と照らし合わせてチェックを始めました
この間に検問所の前を通過する人はノーチェックですし、必ずしも全員をチェックしているわけでもなさそうでしたから、声をかけられたのは運が悪かったのかもしれません
ともかく、当然名簿に載っていないのはわかっているので、もうダメかなと思っていたら、ドンキーが、「今日は先の方へ行くのはやめて、グレイ氷河の方へ行くから」と言って、その小屋から出ました
それで、僕も話を合わせる感じで、ドンキーと一緒に小屋を出て、来た道を少し戻り、昨日行ったグレイ氷河へ向かう道へと歩いたのです
歩きながらドンキーが言うには、「ちょうどレンジャーとやりとりしているときに、検問所の手前からグレイ氷河方面へ曲がり、そっちから迂回してその先のイタリアーノ・キャンプ場方面へ行く人を目撃したので、機転を利かせた」ということでした
ただ、グレイ氷河方面への道からイタリアーノ・キャンプ場方面へ抜ける道というのが見当たらなかったので、5分か10分くらい歩いた適当なところで、道のない草むらを斜めに突っ切って、イタリアーノ・キャンプ場への道に戻りました
この間、僕の中では、再び、「ルールを守らないことへの抵抗感」が湧き上がって来ました
「予約者しか通過を許さないというのは、チリ政府が、勝手なキャンプ泊を防止し、国立公園の自然環境を保護したり、保護するための資金を確保したりする目的があってやっていることなんじゃないか
そこを訪問する以上、その場所を管理する人たちへのリスペクトが必要なんじゃないか」
というような良心の呵責を覚えたのです
しかし、他方で、全身に力が漲るような高揚感が、僕の心のより広い部分を占領していました
そこには、公的な管理を外れたところに身を置いていること、それに伴って保護からも外れて自分の力でなんとかするしかない状況にあることによる、「野生の本能の覚醒」のような感覚があったのです
それはちょうど、少年時代に、大人の目を離れたところで、子供達だけの冒険をしたときの高揚感とどこか似たようなものでした
管理と保護を外れる感覚
少し一般論に飛びますが
僕は今でも、外国を訪れる以上、その国のルールやマナーを尊重したいなと思っています
それは、世界中を旅しているときに感じた、日本の先人たちへの感謝の気持ちと関係します
というのは、ほぼどこへ行っても、僕が「日本人だ」というと、相手の表情がパッと明るくなり、「そうかそうか。よく来た。日本は本当にいい国だ。日本は美しいし、日本の製品は素晴らしい。日本人もいい人ばかりで大好きだ」というような嬉しい反応が返って来たからです
そんなとき、これまで海外に出て行った日本の先人たちの立ち振る舞いや世界各地への貢献の積み重ねの上に今の自分がいるということをひしひしと感じたのです
だから、海外にいるときは、日本の代表の一人であるような気持ちを、どこかで持ち続けていました
しかし、その一方で、そういう表向きの綺麗事とは別の次元で、「どこにも属さない、誰にも従属しない、誰の管理も保護も受けない」という感覚の中で、物凄い大きな力が腹の底から湧き上がって、全身に漲るのを感じることがありました
実際には、バックグラウンドで各国や日本国に管理され、守られている面があるのは承知していますが、あくまで感覚的な話として、特に発展途上国の貧しい地域、田舎や人里離れた場所などへ行くと、一人で生き抜く力、野生の本能が目覚める感覚が湧いて来たのです
それは、管理する側の目線で自分を律し、いい子ちゃんでいるときには感じられない、自由で力強い感覚でした
管理が行き届いていない分、自由も大きいし、その分、自分の身は自分で守る緊張感もありますが、自分の力で生きている感覚を、それだけ強く持つことができるのです
そして、世界一周の旅のメリットの一つなのですが、発展途上国と先進国など、落差の大きい場所の移動を繰り返すことで、その違いが際立つのです
発展途上国から欧米に移動したときに一番感じたのは、「牙を抜かれた感」でした
極端な話、戦争や内乱の中にいるのと比較すれば、安心安全に暮らせることは、とてつもなく貴重で、ありがたいことなのだと思いますし、日本などは非常に恵まれていると思います
しかし、あまりにも管理と保護が行き届き、冒険をする余地が少なくなりすぎると、個々の人間が本来持っている野生の力が失われて、家畜化してしまうのではないでしょうか
国や政府への信頼感も様々
話を戻すと
ドンキーの発想の軸は、「チリ政府が国立公園をどのように管理したいと考えているか」「それを踏まえて、どうするのが正しいことか」、ではなくて、「自分がこの旅で何をしたいか」「それを実現するためには何ができるか」というところにありました
僕は、長い歴史と先人のおかげで安定した国である日本で生まれ育ち、正しく生きなければならないという思い込みも強かったので、なんだかんだ言って国や政府というものを信頼して、頼っているところがありました
しかし、ドンキーは香港という、複雑な歴史と脆弱な基盤の上に存在する地域で生まれ育ったこともあり、国や政府というものを、本質的に信頼していないようでした
これは後日聞いたことですが、ドンキーの父は、中国での迫害を逃れ、大きな川を泳いで香港に逃げ込んだそうですし、ドンキーの大学の恩師は、政治活動が理由で投獄され、今も獄中にいるそうです
そんなドンキーに引っ張られる形ではありますが、僕も彼の行動様式を実際に体験してみて、それまでの常識のカラがまた一つ壊れ、野生の本能みたいなものをあらためて思い出したのです
「自分のような人間は生きていてはいけない」という傷のような思い込みは、どこまで行っても根深く残るのかもしれませんが、個の力で生き抜かなければならない状況の下では、そんな他人目線の発想自体がどこかへ吹き飛びます
エゴイスティックな言い方になりますが、まずは自分の都合ありきで、その後に周囲の状況にどう対応するかの自由な選択をすることは、誰に対しても許されているのです
この気づきは、自己否定感を薄め、自己肯定感を高めるプロセスとして、とても重要なものだったと感じます
長期間の海外の旅という特殊な状況の中で、いつもの自分なら選ばないような選択を、ドンキーと一緒にいることで選択できた経験は、僕の野生をはっきりと目覚めさせるいいきっかけになりました
ドンキーのバックグラウンドを聞くと、その行動パターンも理解できる気がするね
善悪は別として、自分と異質な存在と関わることからは、いろんな発見が生まれるんだね
ドンキーの行動からの気づきについては、別の記事でも書いています
突破編のまとめ
今回の記事のまとめです
本来必要とされる事前予約をしないままパイネ国立公園に入った僕とドンキーは
・1日目のパイネ・グランデキャンプ場では、何の問題もなく宿泊できた
・グレイ氷河への8時間のトレッキングは、僕の心を浄化してくれた
・2日目のトレッキングの初っ端で、予約をチェックする検問に引っかかって足止めを食いそうになったが、ドンキーの機転で、草むらを突っ切って検問を回避した
・ルール違反はよくないが、その体験が、集団の一員としての自分よりも、個としての自分を優先させる発想と野生の本能を目覚めさせ、自己肯定感の高まりにつながった
その後も、予約がないことの壁を乗り越える旅が続きます
続きは、次の「粘り勝ち編」で!
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