僕が世界一周の旅で訪れたいくつもの場所の中から、印象に残るスポットやその楽しみ方、感じたことなどをご紹介しています
今回は、ヨルダンの旅の第3話、アカバ、マダバ、ジェラシュ、アンマン、そして死海を巡った日々をざっくり振り返ります
それぞれの見どころや感想を紹介する他、タイトルにもあるとおり、旅の日常生活の一部を紹介するような内容にもなっています
ヨルダンの旅は、初めての中東だったこともあり、刺激に溢れ、大自然と遺跡、どちらも素晴らしかったです
これまでのヨルダンの旅については以下の記事で紹介しています
以下、自分の書きやすさ、気持ちの入り込みやすさのため、いつものように「だ・である調」でいきます
ワディ・ラムからビーチリゾート、アカバへ
入国前、ヨルダンは中東の国、中東の国は危ないところ、という先入観を持って来たが、そんなものは、リアルなヨルダンと接する中ですぐに消え去った
僕はペトラ遺跡、ワディ・ラムと回る中でヨルダンの滞在予定を延長し、旅友になった香港人のドンキー(仮名)、オランダ人のマリア(仮名)と一緒にタクシーに相乗りしてヨルダン南部のアカバへと移動した
旅友のメリットの一つは、経費を割り勘にできることだ
アカバは、紅海の奥、スエズ半島の東側、アカバ湾の一番奥にあるヨルダンのビーチリゾート
ちょうど、周辺中東諸国の国境が接しているところで、海の先にある陸地を見ながら、「あそこがイスラエルで、あそこがエジプトで、あっちがサウジだね」などと会話した
そしてアカバは海水の透明度が高いことで有名な場所だったので、砂漠から一転、スノーケリングセットを借りてマリンリゾートを楽しみ、アカバ湾に沈む夕陽を見た
思えば世界一周の旅では、海も山も、惜しみなく堪能した
海で言えば、スリランカ、ここアカバ湾、イースター島、メキシコ、キューバ、そしてハワイの島々。。。どこもそれぞれに美しく、それぞれに楽しかった
ただし、今のところ僕の中では、沖縄や小笠原といった日本の海を超える美しさに出会っていない
地球上には、まだ見ぬ美しい海がたくさんあるはずだ
今度旅に出るときは、もっといろんな海を見つけよう
キリスト教の街、マダバ
アカバのあとは、イスラエルへ向かうドンキーと別れ、マリアと一緒にバスでヨルダンの首都アンマンへ移動した
そのあとは数日アンマンに滞在しながら、バスに乗ってマダバやジェラシュを訪れた
どちらも、ヨルダンに来たなら行っておいた方がいい場所として、タクシーの運転手や同宿者に聞いたところだ
その日どこへ行くかは、おおよそ前日に思いを巡らせ、移動手段などを調べておくことも多いが、最終的には当日になってからその日の気分で決める
移動中に、ふとしたきっかけで行き先が変わることもある
こういう行き当たりばったりのやり方では、アタリもハズレもあるけれど、そんな気ままな旅、感覚に従う旅、そしてハズレの中に味わいを感じる旅がしたかった
マダバは、かつてローマ帝国の統治下で作られたキリスト教の古いモザイク画が残されていることで有名な地方都市である
ヨルダンというとイスラム教一辺倒の印象だが、マダバに限っては、市民の35〜40%がキリスト教徒なのだそうで、確かに教会が目立つ
モザイク画自体のよさは正直言ってあまりよくわからなかったが、こじんまりした街をブラブラ見て歩くのは趣があって楽しかった
もう少しで絨毯を買わされそうだったが、そこは踏みとどまった
古代ギリシャ・ローマの都市遺跡、ジェラシュ
ジェラシュは、ヨルダン北部の都市で、古代ギリシャ・ローマ時代の大規模な都市遺跡があることで知られる
僕はここで初めて、本格的な古代ギリシャ・ローマの遺跡を見た
かつて「ゲラサ」、別名「金の川沿いのアンティオキア」と呼ばれ、西暦746年の大地震で壊滅するまで繁栄を誇ったこの都市の遺跡は、見渡す限りの広大なエリアに広がり、比較的保存状態の良い巨大建造物がいくつも立ち並んでいた
大きな柱の立ち並ぶ広場、巨大な劇場、いくつものギリシャ神殿、列柱道路など、見応えのあるものが多くてテンションが上がった
広い敷地を歩き回った上、日差しもきつかったためか、アルテミス神殿で鼻血が出て来た
一番の神域らしき台が横になるのにちょうどよかったので、失礼をしてその上に横たわって休んでいると、そのうち気持ち良くなって眠ってしまった
目が覚めてボーッとしているときに、地元民らしき男性に声をかけられ、「面白いものを見せてやるよ」と言われたので、言われるままついて行った
すると彼は、巨大な柱が、実は石の上に乗っているだけで固定されておらず、微かに揺れているために耐震性があることを、実際に動いている様子がわかるように隙間に紙を差し込んで教えてくれた
これは面白いと思ってさらに話に付き合っていると、次々といろいろな豆知識を説明され、面白写真も撮ってくれた
途中から、「これは絶対、最後にかなり高めのガイド料を要求してくるパターンだな」と思ったが、話はそこそこ面白かったし、どうなるか体験してみたくなって、しばらくそのままついて行った
もう十分かなと思って立ち去ろうとすると、案の定、金額は忘れたがかなり高めのお代を要求されたので、僕もかなり低めの金額を言った
最初にガイド料を払うと約束したわけではないので、そもそも全く支払う必要などないのだが、それでは申し訳ないような気がしていた時点で、向こうのペースにはまっていたのだろう
お互いに譲らず口論のようになり、結局中間ぐらいのガイド料を支払って別れた
こういう類のことはそれまでも何度か経験していたし、僕もあえてトライしたのだが、口論になるほど強引な相手は初めてだったので、せっかくのいい気分が台無しにされたような後味の悪さが残った
僕には、つい自分より相手の都合を優先してしまうところがあって、それにはメリットもデメリットもあったので、一概に良し悪しは言えないのだが、その奥にある自己否定的な思い込みは、手放していいものだった
こういったタイプの交渉ごとにあまり動じなくなったのは、その後、エジプトで鍛えられてからだし、まずは自分の立場を優先させる発想が腹落ちしたのは、南米でいろいろな体験をしてからだった
首都アンマンとシタデル
アンマンでは、単純に街歩きをしたほか、丘の上にあるアンマン城塞跡(シタデル)へ行って、夕陽を見た
もともと僕の世界一周の旅の原点は、東京の街歩きと鎌倉のお寺めぐりだ
地元民と軽い交流をしながら、中東らしい雑貨店や雑然とした市場を気ままに見て歩くのは、異国の空気感を味わうのに最高のアクティビティだ
綺麗な照明を売っている雑貨店では、シリアから逃げて来たという店主と話し込んだ
「ヨーロッパに行けば政府に援助してもらえるけど、そんなふうに生きるより、ここで商売をして自分の力で生きて行きたかったんだ」
「内戦で家族がバラバラになってしまったよ」
「今は何人もの友達と、連絡が取れなくなっているんだ」
そう言って涙を流す彼の言葉が胸に響いて、僕も涙が溢れて来た
「君と、家族の幸せを、君の国の平和を、心から祈っているよ」
と言って、ハグをして別れた
彼は商品を売ろうとは全くしなかっただけに、照明の一つでも買ってあげればよかったのかもしれない
でも、このころには、できる限り荷物を増やさないという長旅の知恵で、必要ないものは一切買わない習慣が身についていた
アンマン城塞は、猫のたくさんいる細い路地を上がった先の広い高台にあり、敷地内に古代の遺跡が剥き出しという感じで点在していた
大きな柱の残骸などがあちこちに無造作に放置されていて、いい感じの廃墟感を醸し出していた
こういう、「かつては住人の暮らしが営まれ、あるいは大勢の人で賑わっていたが、今は半分自然に埋もれている廃墟」が、僕の大好物の一つらしい
あまり復元されていない素朴な遺跡、忘れ去られた工場跡、廃校になった小学校跡、かつて人が住んでいた無人島のようなものたちだ
そういう場所に身を置くと、イメージの中でかつての姿が蘇り、そこにいる人間の心象風景が自分のことのように浮かんできて、バーチャルタイムトラベルが味わえる
これが、スリランカ、カンボジア、そしてヨルダンなどで、いくつもの遺跡を巡って来て発見した、旅の醍醐味の一つだった
マリアはアンマンの宿まで一緒だったが、オランダの日常生活に戻るということで、ここでお別れだった
死海で元気になる
体調不良のため死海沿いのリゾートホテルへ
死海は、ヨルダンとイスラエルの国境を跨ぐ塩湖で、その塩分濃度がきわめて高いことから、浮力も大きく、人が楽に浮くことで有名なところだ
湖面の面積は約600平方キロメートルということなので、琵琶湖よりちょっと小さいくらいだが、水位の低下によりハイスピードで縮小しているらしい
僕は、どのくらい浮くのか体験してみたくて、ヨルダンの旅の最後に死海へ行くことにした
浮く体験をするだけなら日帰りで十分で、実際、そうする人が多いようだが、僕は死海沿いのホテルに2泊することにした
というのは、その頃、どうもお腹の調子が悪く、油断すると危険なくらいユルイ状態が続いていたため、ちょっと一休みしたかったからだ
ストレスのない自由な暮らしをすることは健康にも良いのだろう
世界一周の旅の間、僕はほとんど体調を崩すことがなかった
お腹を壊したのはヨルダンとマチュピチュへのインカトレイルくらいで、しかもマチュピチュはおそらく高山病だったから、本格的にお腹を壊したのは、記憶にある限りここだけだった
と言っても、痛みはなく、体を動かすことにも問題はなかった
ただ、お腹のユルさは本当に油断できなかったし、日本から出発して2か月近く経ち、旅の疲れも溜まっているような気がしたので、単純にゆっくりしたかったのだ
イスラエルに行ったドンキーからは、イスラエル側の死海で合流しようというお誘いが来ており、イスラエルは僕にとっても魅力的な旅先だったけれど、ここは体の声に従った
宿泊先には、デッドシー・スパホテルという、死海沿いのリゾートホテルで空室がある中では一番安いところを選んだ
アンマンから死海までは,交通の便がよくないので、タクシーで行った
運転手のダニー(仮名)はなかなかいいやつだったので、道中いろんな話をした
タクシーに乗ったときのお決まりのパターンで
「死海で過ごしたあとはどうするんだい?」
と聞いて来たので
「マダバで一泊してから、早朝の飛行機で移動するよ」
というと
「オッケー、じゃあ死海からマダバまで30、マダバから空港まで15、合計45で乗せていくよ」
ときた
信頼できそうなタクシーを確保できるのは嬉しいが、ちょっと高すぎると感じたので、交渉したが、結局合計35ヨルダンディナールになった
後でガイドブックを見ると、どうも合計25でいけそうな感じだったので、自分の交渉下手さにがっかりした(ただし、振り返ってみると、ガイドブック情報が少し古かったように思われる)
さらに、この「合計」というところが、後で問題となった
死海の浮遊体験〜その面白さ
デッドシー・スパホテルは、事前にネットでみた限り、一名での宿泊はできないようなことが書いてあったが、実際に行ってみると一人でも問題なくチェックインできた
普段は安宿に1000円とか2000円とかで泊まっているので、他のリゾートと比べて安かったとはいえ、1泊1万円弱というのは結構な出費だった
でも、長旅の中では、たまにちょっと贅沢をしたくなるし、実際、してよかった
広くて綺麗な部屋、優雅な雰囲気の施設などが、気持ちのゆとりを生み出してくれる
いつもではなくていい
むしろ、たまに、の方が、良さを味わえていい
泊まった部屋は一人ではもったいない広さで、食事代別とは言え、日本の基準からすれば、一泊1万円弱は非常にお得だ
部屋に荷物を置き、とりあえず見るだけ見ておこうと思い、ホテルのプライベートビーチへ行ったのだが、行くとリゾート気分が盛り上がり、すぐにでも入りたくなった
結局そのまま、のんびり死海に浸かり、泥パックもやった
浸かった感想だが
♫もう最高の気分♫だった
何が最高かと言って、要するにその味わったことのない異様な「体感覚」が面白いのだ
通常の海水の塩分濃度が3%くらいのところ、死海は30%くらいあるという
その塩分濃度が生み出す浮力は凄くて、本当に余裕で新聞が読めるくらい楽に浮く
逆に浮きすぎるので、うまくバランスを取らないとクルッと回ってしまいそうだ
しかしクルッと回ることは絶対に避けたい
湖水が目に入ったり、間違って飲んだりしたら、洒落にならない緊急事態に陥るからだ
単に水に浸かっているだけでも、男子の一番デリケートな部分の先端がヒリヒリして痛い
見た目にも、水の中が揺らめいて見える
それにしても、「体感覚」が想像以上に人の心身に刺激を与えるということを、ヨルダンの砂漠と死海で実感した
初めての体感覚を経験することで、なんだかわからないが意識や感覚が刺激を受け、意味もなく嬉しくてしかたがなくなる
「腹の底から湧いてくる歓びの笑い」というものがあるのだ
それはきっと僕の無意識レベルにも、いろんな影響を与えていたのだろう
快適なホテルライフとはこういうこと
その日の夕方は、ホテルのスパを予約してマッサージを受けた
ちょっと贅沢をしだすと、なし崩し的にお金を使ってしまうものだ
死海に沈む美しい夕日を見たあとは、レストランで好きなものを頼んで夕食をとり、生演奏の音楽を聞き、音楽に合わせて楽しそうに踊る男女を眺めて幸せな気持ちに浸った
こういう優雅な雰囲気も、リゾートならではだ
ここではみんなリラックスして楽しんでいることもあり、ビーチやレストランでは、何人もの旅行客から声をかけられたり、こっちから声をかけたりして仲良くなった
大体は外国人だが、なんと日本人女性の二人組もいたので、結構話をした
ドイツやアフリカ在住の人たちで、波乱万丈の人生を聞くのも楽しかった
夕食の時は、日本から持っていった浴衣を着て行ったが、和装は注目を浴びる
外国人の、何人かから
「お前は空手マスターか?」などと声をかけられて、気分が良かった
昔は違ったが、自分が心を開くようになると、日本国内だけでなく、海外でもすぐに人と仲良くなれた
「僕はどこへ行っても人と仲良くなれるなぁ。結構好かれるなぁ」という想いも湧いて来て、そこには、エゴを喜ばせる甘く危険な香りがするのだが、その微妙な落とし穴が見えているだけ成長したのだろう
自分に対する無価値感や欠損感をそのままにして、承認欲求、あるいは好かれること、受け入れられること、評価されることといった形あるものでの証明を求め続けていたのでは、他人軸の在り方から卒業できない
シンプルに人と心の交流ができる歓び、あるがままの自分を表現してそれが何らかの波紋を広げる歓び、そんな素直な歓びの感覚をただ感じているだけでよかった
その両者の微妙で大きな違いを感じながら、世界中どこへ行っても、どんな国の人とも仲良くできる経験を積み重ねることは、無価値感や欠損感に乗っていた軸足を自己肯定感の方に移動させる強い力になっていた
結局、三日間の滞在中、毎日、決められた最大限の時間(入りすぎると体に良くないため制限がある)、死海に漬かり、泥パックをして、ビーチや室内でくつろいだ
綺麗な夕日を見て、美味しい料理を食べ、生演奏の音楽を聴き、広い風呂に入り、柔らかなベッドでゆっくり眠った
僕は目に見えて元気になった
お腹の調子は完璧ではないが、旅を続けるのに全く支障がないくらいまで回復した
死海は、標高マイナス400メートルくらいの位置にあり、地球の陸上で最も低い場所、それだけ空気の濃度が濃い場所だという
それも体に良い影響を与えてくれたような気がする
そしてこの間、死海のホテルでも、ヨルダンに来てからたびたび浮かんでくる同じ想いが湧いて来た
「嫌な思いをしないことを指標にして生きていくのは、何か違う
それでは過去に経験した恐怖に囚われ、そこからくる条件反射に振り回されているだけ
嫌な感情すらも経験として受け入れる視点、客観性、強さを、自分の中に認めたい
他人との比較ではない、純粋な感動、愛、そんな歓びを指標にして生きていたい」
「将来を不安に思ってその不安から行動しないこと
この旅も、自分とその運命を信頼して、全てを受け入れて流れに委ねれば、きっと気持ちよくいくはず
うまくやろうとしてキリキリするのは、きっと違う」
こんなこともあるからタクシーにはご注意を
最終日、チェックアウトをして、約束していたタクシードライバーのダニーが来るのを待っていたが、時間になっても来ない
少し遅れて、彼の友達だという男性が声をかけて来た
彼の電話でダニーと話をすると、「忙しいから行けなくなった。かわりに彼が送るよ」という
代わりに来た彼に、「じゃあ、合計35だから、今日は20で明日が15ね」と言うと、彼は、「今日を25、明日を10にしてくれよ」と言って聞かない
事前にホテルのフロントで、マダバまでのタクシーを頼んだらいくらするのか聞いたら、30ヨルダンディナールだったので、25でもまあいいかと思い、了解した
無事、そのタクシーでマダバの宿、クイーンアヨラホテルに着き、翌朝早くに迎えに来るよう念を押して別れた
その後、宿のオーナーに、翌朝早くにタクシーを頼んでいることを話すと、「いくらで頼んだ?」と聞くので、「合計35のうち、今日が25で明日が10」と答えた
すると、その年配の落ち着いた感じのオーナーは、「断言してもいいが、タクシーは来ないね。10は安すぎる。しかも早朝に、その値段でくるとは思えない」と言うのだ
僕は、飛行機の便を予約してあって、それに間に合うように行かなければならないことを、タクシードライバーに伝えてあったから、いくら何でも来ないなんてことはありえないだろうと思った
しかしそのオーナーは、「きっと来ないけど、私が送ってあげるから大丈夫。15で送るよ。私は今晩はここで寝るから」と言ってくれた
万が一の時はオーナーに頼めると思い安心したが、僕の中では、「そうは言っても来るだろう」と思っていた
その後僕は、少し街をぶらついたり、同宿のイタリア人と話したりしてから、早めに寝た
そのイタリア人は、自動車でヨーロッパや中東を回っている旅人で、良い場所をたくさん教えてくれたので、また行きたい場所が増えた
脱線するが、アンマンの宿では、アメリカ在住の中国人から、「アメリカに行くならレンタカーで国立公園をキャンプして回ると良いよ」と教えてもらったし、死海では、ドイツ在住の日本人から「ヨーロッパなら夜行列車の旅がいいよ」と教えてもらった
こんな風にして、実際に体験した人たちから話を聞き、行く場所や旅のスタイルが広がって行った
翌朝早く起きてみると、宿のオーナーは、ホテルのロビーの椅子の上で、布団をかぶって寝ていた
オーナーなんだから、他に寝る場所はあっただろうに、僕が困らないようにここで寝てくれたんだと思うと、ちょっと感激した
そして約束の時間になってもタクシーは来なかった
ダニーに電話をかけても、誰も出なかった
これ以上待てないという時間になって、僕は宿のオーナーの言うことが正しかったとわかり、彼の車で空港へ行き、飛行機に乗ることができた
まとめ
だいぶ、長くなってしまいました
ヨルダンの旅の後半は
・アカバでマリンリゾート
・マダバでイスラム教国の中のキリスト教文化
・ジェラシュで素晴らしい古代ギリシャ・ローマ遺跡
・死海で浮遊体験と快適なリゾート
を体験し、最後は宿のオーナーに助けられて、ヨルダンの旅を締めくくりました
繰り返しになりますが、中東、イスラム、アラブといった言葉に怖いという印象を持たれているなら、それは偏った情報によるマインドコントロールかもしれません
少なくとも僕にとってヨルダンは、行ってよかった旅先のトップクラスに入る場所でした
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