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自己肯定感の高め方〜自己否定的な人の小さな成功体験の重ね方

フィッツロイと湖旅人ライフ情報
この記事は約11分で読めます。
この記事の要点
  • 自己否定感の強い人は、存在価値を証明しようとして頑張るが、どこまで行っても心の平穏がない
  • 無条件の自己肯定感を得ようとするならば、小さな成功体験の積み重ねという心のレッスンが必要
  • そこでいう「成功体験」とは、社会的な成功ではなく、「ありのままでいても大丈夫。むしろありのままでいてこそ心からの喜びを得られる」と感じる体験のこと
  • 小さな成功体験は、先のことを心配しての行動を捨て、一歩踏み出す勇気を持って自分の本心に素直に正直になることから生まれる
  • 世界一周の一人旅は、小さな成功体験を積み重ねて自己肯定感を高める最高のトレーニングだった
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はじめに

以下のような自己否定感や生きずらさを感じたことはありませんか?

「どうやっても自分に自信が持てない。自分には価値がない、自分はダメな人間であるように感じる。罪悪感を感じやすく、すぐに自分を責めてしまう

評価してもらおう、認めてもらおうと頑張ってきて、それなりの成果は得てきたけれども、常にどこかで緊張していなければならず、どこまで行っても不安が付きまとう

「いろいろ探求した結果、結局はあるがままの自分を受け入れればいいのだと分かってはいるが、日々の仕事や人間関係の中にいると、相手に合わせる同じパターンを繰り返してしまう

「根本的な自己肯定感が欠けていることが原因だと分かってはいるが、何をしても効果は一時的で、自己肯定感を得た実感がない

「自己肯定感というものがあるらしいが、どうしたらそれを得られるのかわからない」

これはかつての僕でしたから、こういう感覚はよくわかります
今でも「自己肯定感の塊に変身しました」とは言えないのですが、少なくとも軸足は自己否定から自己肯定に移りました
つまり、基本的には自己肯定感の中にいて、時々、ある心のスイッチが押されると自己否定感が表に出てくるけど、それに気づいて心を落ち着かせることで、また自己肯定感の中に戻ることができる、という状態です

僕は40代後半から新たな人生の旅を始める中で、とりわけ世界一周の旅をする中で、いろいろな体験を重ねて、結果的にいつのまにか自己肯定感を育んできました

世界一周の旅で得たものを一つだけあげるとしたら何か、と聞かれれば、「それは自己肯定感だ」と答えるでしょう

このブログでは、その具体的なプロセスを様々な角度からご紹介したいと思っていますが、この記事では、その入り口、触り的なことを実体験に基づいてお伝えします

価値を証明し続けるのか、無条件の自己肯定を求めるのか

「自己肯定感を得たい」というとき、その意味は、「無条件の自己肯定」「ありのままの自分で存在していいのだという感覚」ということだと思います(他の意味があるかもしれませんが、ここではこのように捉えます)

逆にいうと、自己否定感の強い人は、「ありのままの自分でいては生きていけない」すなわち、「人から受け入れられなければ、認めてもらわなければ生きている価値を感じられず、不安で仕方がない」「受け入れてもらうため、認めてもらうためには、もっと頑張らなければ、まわりに合わせなければ、自分の価値を形あること(社会的な成功・達成・勝利・賞賛とか)で証明しなければならない」という感覚の中で生きているわけです

したがって、そこで求めているのは、結局、心穏やかに生きていける状態です
心の充足と言ってもいいかもしれませんし、至福と言ってもいいかもしれません

自己否定感の強い人は、心穏やかに生きていくために、「成功」のような証明を求めて頑張り続けるというのが、一つのパターンです

しかし、やがて、そのレールの上では、どこまで行っても心穏やかになることはなさそうだと感じ始めますが、「成功」による心の充足を求める列車は、普通より急行、急行より特急、特急より超特急と、一見素晴らしい乗り物(仕事)であればあるほど、途中で降りることが困難になります

そして、「成功」という燃料を補給し続けながら一生を終えるわけで、はたから見ると「勝ち組」の充実した人生ですが、本人の心の中は大揺れで、死ぬ間際に「もっと好きなように生きればよかった」あるいは「身近な人を大切に、思い切り愛に生きればよかった」などと感じることになります

もう一つのルートは、結局、無条件の自己肯定がないと心穏やかに生きられないと感じて、成功の証を求め続けることをやめ、無条件の自己肯定感を求める心の旅に出かけるものです

本当は、どこか遠くにあるものではないのですが、そこに気づくプロセス全てが旅です

そしてその時に、多くの人が経験するのが、自分の心の奥にある「傷」への気づきと、その癒しです

それによって救われ、楽になり、本来の自分の人生を取り戻すプロセスが進みます

そしてその先に、あるいはそれと並行して必要になるのが、自己肯定感を育むレッスンないしトレーニングです

別の記事でも度々触れているように、弱っている「自己肯定感力」を育むには、運動能力を高めるのと同じように、レベルに応じて、繰り返し練習して、心のトレーニングを積む必要があります

もちろん、自己否定感は、概して心の繊細さや「わび・さび」のような感覚にも通じるところがあり、優れた芸術の源泉にもなりますし、思いやりや優しさの元にもなる側面があります

そのような面を活かして生きたければそれで良いのですが、芸の道を進む人には意思を貫く強さがあるものですから、自己否定感で自分を失うタイプとは少し違うかもしれませんね

ここでは、「繊細すぎたり、他人に気を使いすぎたりして、自分らしく生きられないし、心穏やかにいられないから、どうしても自己肯定感を得たい」というケースを想定して、この記事を書いているわけです

自己否定の中にいることに慣れすぎると、諦めというか、そこに安住してしまって、出たくなくなることもあるみたいだよね

このままじゃ自分の人生がもったいない、という衝動や反発心が原動力になるかもね

自己肯定感力のトレーニングー小さな成功体験とは?

そこでの心のトレーニングの一つが、「小さな成功体験の積み重ね」です

念のため断っておくと、ここでいう「成功」は、先ほどの話からわかるように「社会的な成功」ではありません

「努力して成果を上げる」「結果を出して認めてもらう」という意味での「成功」を重ねても、同じパターンの繰り返しです

「失敗してはいけない」「間違ってはいけない」というプレッシャーの中で、真面目な人ほど苦しくなっていくばかりですし、仮に、たまたま能力があって成果を出し続けられたとしても、上にはさらに上がいてキリがありません

そういう意味での「成功」ではなく、「失敗してもいいんだ」「間違ってもいいんだ」「頑張らなくてもいいんだ」「ダメな自分でもよかったんだ」と実感できる体験がここでいう「成功体験」です

そこで言う、「いいんだ」「よかったんだ」は何を意味するかと言うと、「心配していたような大変な事態にはならない」「大変だと思っていた事態もなかなかいい経験だ」ということと、さらに、「むしろこっちの方が楽しいぞ」「こっちの方が人と分かり合えたり愛し合えたりできちゃうぞ」「こっちの方が喜びに満ちているぞ」という感覚です

ここも微妙な落とし穴があるのですが、このように望んでいた結果が得られたのは、あくまでも、ありのままの自分でいたらいつのまにかそうなっていただけであることがポイントです

つまり、「楽しく過ごしたいな」「人とわかり合いたい、愛し合いたい」「喜びを感じていたい」と望むのはいいし、むしろ望みを持つことは大切であるけれども、そこから、「その望みを叶えるためには、頑張らなければいけない。○○でなければいけない」という方向に発想することをやめる、もしその発想が出てきても、それに気づき、その発想にしたがって頑張る行動を起こすのをストップするのです

そして、あれこれ心配する思考を捨て、その瞬間ごとの感覚に素直に正直になることだけを心がけるのです

これは言葉で言うのは簡単ですが、実際にどうすればいいか、最初は戸惑うかもしれません

心の中にはいろんな声が渦巻き、何が本当の心の声かわからないこともあるでしょうし、どれも自分の心の声だと思うこともあるでしょう

それは仕方がないことだと思います
だから、「できるだけ」自分軸で心の声を聞くしかなく、時には他人の都合や期待をあえて無視して、その逆をやってみること、いつもと反対の選択をしてみることなど、試行錯誤を繰り返して、「これは違ったな」という経験から学んでいけばいいのだと思います

どんな小さなことでもいいので、失敗や間違いを怖れず、それまでの枠をはみ出す小さな一歩を踏み出す勇気を持って、心の声に従った行動をとってみることです

そうすると、当然予期しないいろいろなことが起きます
その時にも、過去への後悔や未来への不安に囚われず、その瞬間ごとの感覚に素直に正直になることだけを最優先にして、ちょっとだけ勇気を持って行動するのです

これは決して安全が保証された歩き方ではありません
実際、うまくいかないことやアクシデントも発生するでしょう
しかし、人は寿命が来るまでは絶対に死にません(死ぬまでは生きているという当たり前のことを言っているだけですが、こう言うと勇気が出ます)
そこまで極端なアクシデントでなくても、「なんとかなるじゃん」「それはそれでいい経験だったな」ということばかりであることに気づくでしょう

そして、そんなときは、不思議と人の優しさに触れられたり、心が通じ合うことがあったりして、うまくいかないことやアクシデントのプロセス自体に心から喜びを感じる体験ができるはずです

その一つ一つが、「ありのままの自分でいても大丈夫だ」「むしろありのままの自分でいるからこそ心からの喜びを感じられる」という小さな成功体験となって、自己肯定感を強めていくのです

その先には、「神様に守られている」「神様に生かされている」「宇宙に受け入れられている」という言葉で表現されるような絶対的な安心感、「運命を信じる勇気」のような感覚があります

それと表裏の感覚として、自分の足で歩いて生きていけるという自信、国家や社会システムや組織に依存しなくても生きていけるという、自分の人間力に対する信頼感が生まれてきます

逆に言えば、せっかく乗った特急列車からあえて降りて自分の足で歩いてみること、国家や社会システムや組織に従属せず、その枠をはみ出してみることが、極めて効果的なレッスンの場となります

運命に対する信頼と自分に対する信頼が広がることで、また違った一歩を踏み出す勇気が湧いてきて、踏み出した先にある新たな経験が、運命や自分への信頼をさらに広げてくれます

ちょっと話が大きくなりましたが、大切なのは小さな一歩を踏み出す勇気と小さな成功体験の積み重ねです

僕の場合、そのための最高のトレーニングの場だったのが、世界一周の一人旅でした

世界一とも言われる日本のパスポートに守られた枠の中ではありますが、それまでの自分からすれば大冒険でした

見知らぬ地で、何者でもないただの一人のちっぽけな人間として、自分の力で生き抜く体験の中に、自己肯定感を高める小さな成功体験が散りばめられていたのです

その具体例については、別の記事でお伝えしていきたいと思います

ここまできて、具体例は別記事だなんて、勿体ぶらないでよ

抽象的な話ばかりだとわからないよ

それもそうだね

実際、ぜんぜん大した話じゃなくて、ごくありふれた小さな話がほとんどなんだよ

例えば

バスターミナルの場所が分からなくて通行人に助けを求めたら、めっちゃ親切に案内してくれたとか、そういう困ったときに素直に助けてもらった的な話ね

それとか、値段交渉のバトルとか、クレーム対応とのバトルとか、いつも遠慮がちでやったことのなかったことをやった経験

もっというと、言葉もルールも習慣もわからない中で、移動、宿泊、食事、買い物などを一つ一つこなしていく旅のプロセスそれ自体が、全てチャレンジで、格好つけていられないから、本心から必死でぶつかるしかなくて、みっともない自分を曝け出すことになるんだよね
つまり、旅の中では、ありのままの自分でしかいられないんだ
それでも、なんとかなり、多くの人に温かく受け入れられ、感動を体験でき、旅を続けられたという全ての経験が、ありのままの自分でいいのだという成功体験だったんだよ

まとめ

ちょっと長くなったから、結局何が言いたいのかまとめて欲しいな

言いたかったのはこういうことです

僕は、勇気を出して仕事を辞め、世界一周の一人旅をしたおかげで、「ありのままの自分でいてもいいんだ。むしろその方がハッピーだ」という小さな成功体験を重ねて、生き方の軸がいつの間にか自己否定から自己肯定へと移りました

そこには応用の効くプロセスが含まれているように思うので、そのエッセンスをまとめると
・自分の存在価値を社会的役割の達成などの形で証明しようとする生き方はやめる
・無条件の自己肯定を求める心の旅に出発する
・あえて枠をはみ出し、自分の心に素直に正直に行動するレッスンを繰り返す
・そこで遭遇する小さな成功体験の積み重ねによって自己肯定感を育む
・それが運命や自分自身への信頼を深め、さらに自分の心に素直に正直になる
ということになります

最初から、理想的な自己肯定感の塊にならなきゃいけないと思ってしまうと、「できないこと」に意識が向き、「やっぱりダメだ」と感じて挫折しやすくなるので、まずは心の軸足を徐々に移していき、自己肯定感の中で生きる時空間を広げていくという方法がやりやすいと思います

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