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常識を変える冒険の旅〜南米パタゴニアの絶景とパイネ国立公園3泊4日トレッキング(粘り勝ち編)

旅のスポット情報
この記事は約8分で読めます。

僕が世界一周の旅で訪れたたくさんの場所の中から、おすすめのスポットや楽しみ方をご紹介しています

今回の記事は、南米、パタゴニアのパイネ国立公園を3泊4日テント泊でトレッキングしたときの話の第3話です

第1話(出発編)と第2話(突破編)の概略

トレッキングの聖地パタゴニアでも人気のルート「Wコース」は、事前に全ての宿泊先を予約してからでなければ入れないことになっていた
しかし、約1週間先まで予約が満杯だったため、旅友の香港人ドンキー(仮名)と僕は、予約なしでもなんとかなったという噂話を頼りに、全く予約しないまま出発し、最初の関門をなんとか突破して、2日目の宿泊地へ向かった

という内容でした

詳しくは、これまでの記事を読んでみてください

今回は、試しに「ですます調」ではなく「だ・である調」で書いてみます
その方が、当時の感覚をリアルに表現しやすいと思うので

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2日目のキャンプ場〜断られても諦めずにいたら泊まれた

パイネ国立公園Wコース

1日目のパイネグランデキャンプ場から、2日目の宿泊予定地、イタリアーノキャンプ場まで約7.6キロメートル

距離にすると短いが、重い荷物を背負ってのアップダウンが続き、足腰が痛くなってくる

天候は相変わらず曇りがち

かなりの面積に山火事の痕跡が広がっている

何年か前に、キャンプ禁止区域で泊まっていたトレッカーの起こした火が原因で大きな火災があったらしい

どうりで入園前に全てのキャンプ場を予約するよう厳しい規制が敷かれているわけだ

火災跡の残るトレイル周辺

イタリアーノキャンプ場に到着後、重たいバックパックを置いて身軽になり、ブリタニコ展望所への往復ルート約11キロを歩いた

ほぼ曇り空だが、時折雲が晴れて険しい山並みを見せてくれる

ブリタニコ展望所もひんやりとした曇り空

パイネ国立公園ブリタニコ展望所

イタリアーノキャンプ場に戻ってきたが、シャワー設備がなかったので、この先のフランシスキャンプ場まで行くことにする

膝痛の不安を抱えているのだが、これまでのところは、かろうじてもっている

イタリアーノからフランシスまで約3キロと地図には記載されていたが、疲れ切った体には、倍くらいに感じられた

ようやくフランシスキャンプ場にたどり着いたが、受付の小屋には係の人がいなかった

他にも何組か、受付待ちの人たちが溜まってきた

しばらくして職員の男性が来たけれど
予約していない人は泊まれません
の一点張り

まだ日没までは時間があるので、イタリアーノまで戻ってチャレンジするか、あるいはその辺の空き地でテントを張ってしまうか。。。

テントを張れそうな場所を探してうろついていると、いい場所を見つけてすでにテントを張っている人もいた

他にもウダウダしているチリ人女性のグループがいたので話しかけてみたら
午後8時まで待って、その時点でテントサイトに空きがあったら、泊めてもらえるって聞いたから、待ってるんですよー
ということだった

「なんだ、そんなこと一言も言ってなかったぞ〜」
と思ったが、まあ、男が女性にだけサービスするのはどこの世界でも似たようなもの

ここはテント一張り用の台がいくつも設置されているタイプのキャンプ場で、見たところ、いくつも空きがあったので、僕たちもチリ人グループに便乗して泊めてもらおうと決めた

それで午後8時までの間、シャワーを浴びたり、休憩所でチリ人グループとお互いにスペイン語と日本語を教えあったり、ご飯を食べたりしながら、結構楽しく時間をつぶした

フランシアキャンプ場の休憩所

8時になったので、管理事務所へ行ってみたところ
「午後9時まで待って、空きスペースがあったらいいよ」
と、嫌そうな顔をしながらも、一応許可してくれた

さらに1時間ほど時間をつぶし、再び管理事務所へ行って、言われるままに一人13000チリペソ(今なら日本円で1900円くらい)の料金を支払い、ようやくテントを張れた

テントを張り終える頃には暗くなっており、疲れ切って横になったが、寒くてあまり眠れなかった

3日目〜膝の痛みに耐えてトーレス・デ・パイネへの道を歩く

フランシアキャンプ場での朝〜中国人旅行者への見方

早朝、キャンプ場から出ていく中国人グループが大声で話していてうるさい

ドンキーも気になっているらしく、静かにして欲しいという気持ちの現れで、人差し指を口に当てて、「シーっ」と言っている
遠いから、相手に聞こえるわけじゃないんだけどね

世界中、どこの観光地に行っても中国人旅行客だらけ
その次が韓国人で、今や日本人はどこへ行ったの?という感じ

ドンキーも、「以前は、日本人が一番多かったのに、どうしちゃったの?」と言っていた

僕も、日本人や日本という国が世界の中で目立たなくなっていて、代わりに中国人や中国ばかりが目立っていることをひしひしと感じていた

特に中国人観光客は、総じて声が大きい

どうも、声が大きいことはいいことだという考え方があるらしい

それと、ドンキーがこの時言ったのだが、年配の人たちは、国際社会でのマナーについて教育を受けておらず、お金だけ稼げるようになって旅行に出ているので、どこへ行ってもうるさいのは仕方がないのだそうだ

以前は僕も、中国人観光客の声の大きさに不愉快な気持ちを抱くことが多かったが、だんだん気にならなくなってきた

それに、どこへ行っても中国人が目立つ中で、日本人と中国人は、それ以外の国の人から見たら同じに見えるから、僕も中国人だと思われることがよくあった

そんな時、こう言ってはなんだが、嫌そうな態度や馬鹿にしたような態度をされることも時々あったのだ

僕が日本から来たことがわかると、相手の態度も変わることが多いのだが、この経験から、ちょっと中国人旅行者に同情する気持ちにもなっていた

日本人だって、今でこそ一目置かれている感じがするが、数十年前は、「エコノミックアニマル」と言われて軽蔑的な見方をされていた時代があったのだから

それに、うるさいなと感じる中国人旅行者は、確かに年配の方々だけだな

トーレス・デ・パイネへの道

3日目のトレッキングコースを歩きながら、この日もいろんな思いが湧いてきた

「昨日は運よく泊まれたけど、3日目のキャンプ場では泊まれるだろうか」
「トーレスの先で川が氾濫しているという話だったけど、もうおさまったかな?もし渡れなかったら、来た道を引き返して、パイネ・グランデまで戻らないといけないのかな?」
「膝の痛みも増してきたし、大丈夫かな?」
「そうなったら、食料がもつかな?」
などと、不安が頭をよぎる

そして思考はさらに、ここまでの旅の体験から感じた新たな感覚を確かめるようになぞっていく

「ものの見方は、価値判断の基準をどう設定するかで全く変わる
信号無視をしてもいいのかどうかというようなルール
国益
戦争
原爆の投下
地球環境やガイア観。。。
小さな物差しがまやかしに見えて、より大きな物差しを求めるけど
そこには相変わらず正しさを求める自分がいるのかな
物差しを求めること自体、正解を求めているのと同じみたいだ
これでいいのだという証明を外側に求めていたこと自体で、どこまで行って終わりのない虚空を埋めるループにハマっていた

子供の頃から、究極の物差しを求めて苦しんでいたのかな」

途中の橋で、ついに左膝の内側に激痛が走る

なんとかそろりそろりと歩き、ラス・トーレスのキャンプ場にたどり着く

いつものように先に歩いていたドンキーと合流

ここは、事前予約なしでも、何の問題もなく受付してくれた

ラス・トーレスのキャンプ場

翌朝、膝痛で無理かとも心配したが、なんとか歩けたので、コースで一番のみどころ、トーレス・デ・パイネの展望所までの往復20キロ弱のトレッキング に出た

この日の天気は最高

そろりそろりと歩き続けるが、この日も過去のネガティブな記憶が蘇っては流れ去る

なんとか展望ポイントへ到着

清々しい張り詰めた空気感を味わう

トーレス・デ・パイネ

膝はなんとか持ち堪えた

しばらく堪能してから、ゆっくりと下山

インターネットが繋がらない、電波が届かないことの身軽さを感じながら歩く

何も考えなければ、ただのトレッキングだが、「そうだ。ここはパタゴニア、地球の裏側なんだ!」と思うたびに、深い感慨が湧いてくる

夕方までに下山し、連絡バスを使って、拠点の町プエルトナタレスに帰る

帰ってから、ドンキーが失くしたレンタルのトレッキング・ポールのことで一悶着あり、面白い経験をしたが、それについては別記事で書いた

3泊4日のWコーストレッキングを終えて

結局、「予約なしには行けない」とされていたトレッキング コースを、何の予約もなしに踏破できました

最初の検問で引っかかって、野原を超えて迂回したのと、フランシスキャンプ場では宿泊をいったん断られ、夜遅くまで待たされたという関門はありましたので、強引さや運も必要でしたが、なんとかなりました

満員だから1週間ほど先まで予約は取れないと言われていたけれども、実際にはテントサイトが余裕で空いていました

この体験は、それまでの旅でも感じていた自分の常識を壊し、殻を破るプロセスを、飛躍的に進めてくれました

小中学生が悪さをして強くなったような気になるのと、似たような形に見えるかもしれませんが、(そういう部分もありますが)そのプロセスで、自分の常識を実感として疑い、壊し、超えていく、そんな心の変容が起きたところに、意味があったと思います

何度も断っていますが、ルールを破ることを勧めているわけではありません

ただ、ルール破りも含めた冒険の経験全体が、他人軸・自分軸というものについて意識をフォーカスさせ、その本質を垣間見るきっかけを与えてくれたのです

国家、社会、組織など、大きな何かに依拠しなければ心許ない感覚から、自分軸、独立、自立、そんな言葉から浮かび上がる強さ、すなわち生きる力、生命力、あるいは自己肯定感と呼ばれるものの感覚へと軸足を移す大きなパワーが生まれた旅でした