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世界一周の一人旅で強く実感したこと4選〜忘れたくない学び。年の瀬のまとめ

イスタンブールの空旅人ライフ情報
この記事は約8分で読めます。

2020年も残りあとわずか
今年は新型コロナの影響で本格的な旅をすることができなかったけれど
その間に世界一周の旅を振り返るこのブログを書き始めることができたのは本当によかった
まだまだ書き残したいことがたくさんあるけど、年末ということで、いったん旅で得た気付き、特にいつまでも忘れたくないことを4つまとめて書き記しておくことにした

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今この瞬間の感覚に身も心も委ねよう〜将来を心配したり、過去を悔やんだりするのは時間の無駄

旅をしている時、自然と「今ここ」の感覚の中で過ごしていた
なぜなら、毎日、毎時間、新しい人や事柄に出会うし、その瞬間ごとの状況を感じて対応していく必要があるから

まさに一期一会の連続だから、その出会い、その時間を思い切り大切にする
「また会いたいね」とは思うけど、現実にいつ会えるかわからないし、2度と会えない可能性が高いことは無意識のうちにわかっている
その場所で、その状況で、その人と出会うことは、その時一度しかない、とっても貴重なことなんだと、旅の中では当然のことのように感じられる
出会いの運命のありがたさというのは、その後の何かのためになるという利害損得の観点から測るものじゃなくて、出会いそのものの中に人生の豊さや幸せがあるのだということを、より深く教えられたのだと思う

人と気持ちが通じる、心に触れ合える、ただそれだけで十分幸せだった
関係性の強さや信頼度を何かの形にして証明する必要なんてなかった
「出会えて嬉しい」「出会いに感謝」というのは、何かをしてもらえたことの結果じゃない
それがわかると同時に、「他の人に対して何らかの目に見える貢献をしなければ自分の存在価値はない」という変な思い込みも薄れていった

それと、言葉も通じず、それまでの知識や常識が通用しない異国の地に一人で降り立った時、そこで旅を続けるためには、結局出たとこ勝負でぶつかるしかなかった
その場の状況を感じ取って、臨機応変に行動し続けるしかなかった
終わったことを悔やんでウジウジしている暇はないし、まだ起きていない将来の不安に苛まれて怖気付いている暇もない
だから自然と「今ここ」に意識を集中し続けることになった
だからこそ、今この瞬間にある全てのことを全身で感じることができた

不思議なもので、僕は記憶力が悪いし、過去のことをあまり覚えていないのだけれど、旅の間の出来事は、その時のリアルな感覚とともに昨日のことのように蘇ってくる
特に旅の中で自分で撮った写真を見ると、その時の自分にタイムスリップするくらいの感覚になる
写真の中にその場のエネルギー全てが写し取られているような感じだ
記憶とは、頭の中にある意識的・知的な情報ではなくて、感情や感覚とともにある景色みたいなものなんだなと思う

世間の常識にとらわれない〜集合意識に飲み込まれないで自由に生きよう

普段、常識だと思っていることは、ホモサピエンスという種族限定、今の時代という時間限定、日本という地域限定の極めて特殊な幻想に過ぎない
僕はわずか1〜2年の間、30か国程度の国々を駆け足で巡っただけだけれど、それだけでも、国によって、生き方、考え方がかなり違うことを実感した
例えば、日本では、協調性、規律が重視され、自己主張の強さや人と違うことは調和を乱して波風を立たせるものとしてネガティブに捉えられがちだけれど、他の国々では、協調性や規律よりも、個人の自己主張や独自性を重んじている感じがした
日本の特徴についてさらに言えば、間違いや失敗、人に迷惑をかけることはいけないことで、なんとしても回避しなければならないという意識が強いけれど、海外ではそうでもなく、むしろ間違いや失敗、人に迷惑をかけることを、生きていれば当然生じるもので、あまり気にする必要のないものとして捉えている感じがした

また、世界中の遺跡や博物館などを訪れて歴史に触れたことで、生き方、働き方、国のあり方、家族のあり方、人の命に対する考え方など、時代によって実に様々であることを強く感じた
今の日本の教育の中身や制度、仕事中心の生活、人間関係の在り方、一夫一婦制の家族制度、その他様々な社会の仕組みは、世界の歴史の中で見れば独特のものだし、日本の歴史から見ても現代特有のものに過ぎない

多くの人は、そんな狭い常識にとらわれて、お互いの自由を縛ったり、自分で自分に制約を科したりして、悩んだり苦しんだりしているのだと思う
それを違ったところから俯瞰して眺める視点があると、気持ちが楽になるし、自由になる

特に、日本では、みんなと同じでなければいけないという集合意識のプレッシャーが強くて、それに逆らおうとするとかなりのエネルギーを浪費することになる
同じレベルで戦うよりも、違った視点、違った立ち位置に立ってマイペースで歩んでいくのが心地よい
時間をかけて世界中を巡る旅は、そういう多角的な視点を育ててくれる

生命力の源は、サバイバル〜国や社会に依存しない。どこへ行っても生きていける、何にもなくてもなんとかなる

そもそも、言葉がほとんど通じない異国の地をバックパック一つで放浪すること自体が、一種のサバイバルだった
限られた資金だけで、寝る場所を確保し、食料を確保し、行きたいところへ移動する、そんな基本的なことからして、子供の初めてのお使いのようなドキドキ感と達成感が繰り返される
とりわけ、初めてのバックパック旅行ではなおさらだ
その国がいかに危険かというネガティヴな情報がたくさん届けられる中、自分の運命を試すかのように、安心安全とは程遠い環境にあえて身を置く

先進国以外の地域に行くと、日本がいかに安心・安全・便利かがわかる
交通機関一つとっても、電車などは遅れるのが当たり前
インドのように何時間も遅れるのが定番だったりするところもある
おまけに古くてぼろくて汚い車両、表示もアナウンスも不親切で一体どこから乗ったらいいかわからない駅、狭くて凸凹の道路、早い者勝ち図々しい者勝ちのカオスな交通マナー、人当たりがきつく一見横柄な職員の態度、相場よりかなり高い値段を当然のように吹っかけてくる強引なタクシー運転手。。。
そしてもちろん、伝染病や食中毒の危険、詐欺、窃盗、強盗などの犯罪被害の危険

しかし、そんな旅を続けていくと、だんだん自信がついてくる
お金の力ではない
肩書きや実績や縁故の力でもない
何もないただの一人の人間として、困難を乗り越え、出会った人と気持ちを通わせて協力を得ていくプロセス
過度の警戒状態から、適度の緊張感を保ちつつも、人の優しさや親切心を信頼できる状態になるプロセス
それらが自分に眠っていた野生の力、感性、生命力を呼び覚ます
「どこへ行っても生きていける。何があってもどうにかなる。どうにかならない時はその時だ」
そんな開き直りというか、大地に足をガッチリと踏みしめたような存在感、ビクビクと不安に怯える状態とは真逆の、ハラが座った感覚が芽生え、根付いていく

他方、日本で暮らしているととても安心・安全で便利だ
十分な道路網、正確で安全で公共交通機関、豊富な飲食物と便利なショッピング、手厚い社会福祉に医療、綺麗な建築物、親切なサービスの数々などなど
そこにどっぷり浸かっていると、サービスの穴が目について、「もっと、もっと」と逆に不満が膨らみがちだし、他の先進国と比べて不合理、不十分なところを探し出せばたくさんあるけれど、世界的に見れば、十分すぎるほど過剰なサービスに囲まれている
そのシステムの中で適応していれば、餓死や野垂れ死の心配はまずない

しかし、逆に、安心・安全、便利さを確保してもらっていると、それを失うことが怖ろしくなる
失うものを持てば持つほど
レールを外れることが怖くなる
だからレールを外れないように細心の注意を払いながら生きる
失敗や間違いを過度に恐れて、嫌がって
そこには、依存と支配の関係が強固に出来上がっている
だから、なんだか窮屈
そういう、「安心なんだけどサバイバル感のない社会」に戻ると、野生の牙を抜かれたような、生命力が減退したような、飼い慣らされた家畜のような気持ちになる
そして実際、しばらく日本で暮らしていると、あの、生きる力がみなぎるような自信はなくなり、適度に、穏便に、無難にという流れに押し流されていることに気づく

ありのままの自分でありつづける〜正しいも間違いもない。成功も失敗もない。

乗り物に乗り遅れたら、その場所にいられる時間がもう少しもらえて、そこでの出会いがあった
道を間違えたら、その先に予期せぬ景色があり、思いがけない出会いがあった
怪我をしたら、体調を崩したら、人に迷惑をかけたら、、、
どれも同じように、一つのプロセスに過ぎず、どこを通って進んでも、そこにしかない経験がある
まさに「万事塞翁が馬」
「間違ってもいいんだ。」「失敗してもいいんだ。」「すべての経験に意味があり、どんな経験にもギフトがあるんだ」
旅をしていると、その実感が積み重なる

人生もまた、そうやって様々な経験をするようにできているようだ
だからそこには、世間で言われる「成功」もいいけど「失敗」もいいし、「正しいこと」と「間違ったこと」の区別に絶対はなく、その違いも、大したものではない
どんなふうに生きてもいいし、何をしても、何もしなくても、どっちでもいい

唯一もったいないと感じるのは、自分に素直に正直に生きられないこと
ありのままの自分でいられないこと
しかし、その経験を経て自分に素直に正直に生きること、ありのままの自分でいることの歓びを実感するなら、それもまた必要なプロセスだろう
自分に素直に正直に生きれば、経験すること自体の豊かさと味わいが溢れ出す
その味わいを感じ尽くす瞬間こそが「幸せ」なんだと思う

過敏すぎて生きるのが大変だった自分、自己肯定感が欠如していて悩んだ自分、承認欲求に飲み込まれて自分を見失った過去、そういったすべての経験には、残念なところもあるけれど、その時々で精一杯生きてきたなと素直に思う

そして、今、自分の中にあるいろいろなとらわれ、思い込み、執着、怖れに惑わされ、それに気付きながら、経験を味わっていることに幸せを感じられるのも、生きづらさを経験したからこそのユニークな豊さなのだろう

まとめ

「可愛い子には旅をさせろ」とはよく言ったもので、旅から学ぶことは極めて多い

過保護・過干渉は最悪で、子供の試行錯誤、そして自立を邪魔しないことが最良だと思う

そしてこれは、子供に限ったことではない
大人になってみてわかるが、大人だって未熟だ
世間の海の泳ぎ方は上手くなっているかもしれないが、それは表面的なノウハウに過ぎない
むしろ、そこに目を奪われている間に、そもそもなぜ泳いでいるのか、本当はどうしたいのかといった本質的なことを忘れている

だから大人には、「自分が可愛ければ旅をしろ」と言いたい

それはともかく、今回は、コロナ騒動で長らく旅に出られない時期が続いたので、今一度旅で感じたことをまとめてみた
まとめてみて、なかなか実践できていないなと感じることが多いけれど、それもまた人間としての経験の一つ

旅に出ようと思った時にすぐに出かけておいて本当によかったと思うから、今の状況の中でも、今やりたいと思ったことを、言い訳なしでやっていきたいなと感じる

なんだか、独白みたいな記事になってしまいましたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました

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